新派を知らないという衝撃。
本当はどうでもよいことなのだけど、先日の鳥越アズーリの放送で、話の流れで、新派という言葉がでてきたので、新派って、あの劇団新派のことですか?って聞き直しましたら。
知らない。という。衝撃。ゲスト3人誰も知らなかった。
ゼネレーションギャップ以上の衝撃でした??笑
もちろん、皆さんは映像の人で、僕は、たまたま歌舞伎の人間国宝さんの付き人したりしたことがあるので、しょうがないといえば、しょうがないけど、、え?そうなのって、感じです。笑
僕は、また、たまたま三味線のお師匠さんが、杵勝会の上の人で、大変偉い先生だったんですが、お師匠さんの家にいきますと、三味線の稽古は15分ぐらいですが、そのあと3時間ぐらい、新派の花柳章太郎先生の舞台映像を鑑賞してお勉強のお時間でした。松竹にもないという貴重な映像でしたけど、、、
自分のお芝居の師匠の奥様は、新派の看板女優さんでしたし、勘三郎さんの娘さんの波乃久里子さんとは、舞台の袖で、仲良く、いろいろなことを話した記憶があります。怖かったけど。笑
時代はどんどん、変わって、新しいものが台頭していくことは、当然のことだと思いますし、そんなの当たり前です。
でも、だからといって古いという理由だけで、葬り去っても、いいものなのか?っていうと、たぶん、そんなはずはないのかもしれませんよね。これは現代の風潮なんだとおもいますが、過去から学べることは、何もないという、洗脳に近い教育というか、世間の風潮を誘導している組織があるんだと思うのですが、どうなんですか?陰謀論ですね。学校でも古典の授業は、なくなるんでしょ。現代の技術を学ぶことが大事で、プログラミングとかは、学んで、平家物語とか、ネガティブだから、捨ててしまえって、ところですね。
昔のことは、現代に全く適合しないと思っている。
第二次世界大戦は昔のことだから、そんなこと、決して、現代では繰り返さないと思っている感じ。
だからって、もっと昔のことも勉強しろと言いたいわけじゃないんだけど、なんというのかな、例えば、黒沢映画がすごいとか、もちろん、すごいですよ。でも、作品の評価は、それとして、その時代の役者が何を感じて、何をしようとしていたのか?スターと呼ばれる人たちは、何を考えていたのか、お客様は、どういう生活をし、演劇をどう、生活に取り込んでいたのか?作品だけが、ネットとかで一人歩きして、人と会って、お話するという機会がなっていく現代。つまりは、くだらない雑談する状況が、なくなってきている、そんな時代になりました。必要なのは情報で、ノイズは捨てるべきものだという考え。
まあ、こういうこと言ってると、必ず老害だって、言われますね、確実にね。
身勝手に自分の意見を言ってみると、僕が感じているのは、何か継承したいと思えることがないと、文化にならないと思うわけです。新しい時代には、新しい価値観があるから、それでいいんだでは、ただの娯楽です。それでは、つわものたちの夢の跡には、山河も残らないじゃないの?って、危惧するわけです。
何を、学びとり、何を継承するのか、そのことが、ひょっとしたら、おろそかになっていないのかな?
おじじいの考えでした。
別に、文化なんかにしたいと思ってないですけど、と言われて、すべておわるお話でした。笑
なんか、そう言いそうでしょう。