所作塾 No17

集中体験をすることが、人生を豊かにしていくことの本質なのかもしれませんよね。

今回は、集中の取り組み方として、数パターンの稽古をしてみました。

題材はなぜか、またまた、ロミオとジュリエットです。笑

参加者さまの感想としては、「安心感があった」というのが、一番多かったです。そして、これが、集中と言っていいのか、分からない不思議な感じがしました。というのです。つまり、いままで培ってきた集中という概念からは、違ったものを感じてもらえたわけですね。しかも、そこには安心感があったというところが、面白いですね。

子供のころから、先生や親から言われ続けてきた、「集中しなさい!」は、脅迫概念的に刷り込まれてきていますが、この場合の集中は、明治以降に外国から持ち込まれました。concentrationという言葉を直訳したとおり、センターに集まるというイメージだと思います。これを集約的集中というならば、明治以前の日本の集中観は、たぶん拡散的な集中が、主流だったのかもしれません???憶測でしかない。

参考ブログ:お稽古始めるよVol4

みなさんに、この浸透していく集中というのがありますよという説明をしましたら、なるほど、それなら、今感じたものが、集中の一つなんだと分かるような気がしますと言ってくれました。

私たちは、集中ということが、良いことだと信じて、集中力を高めることをいろいろするわけですが、実はそこには、概念も理論もちがう集中が、存在してて、使い分ける必要性があるわけですが、そこのところを、教えてもらったことは、ありますでしょうか??

何度も例に出しているかもしれませんが、駅の階段とか歩いているときに、スマホいじって、ゲームやメールしている奴って、ムカつきませんか?笑。でも、そういう方々も集中していらっしゃるんですよね?人間は、本来、集中存在として生きているので、集中している姿は、とても自然で見えて、山や海や空をみるかのごとく、心を癒されるものなのです。それなのに、ムカつくという逆の結果になってしまう。なぜそうなってしまうのか、つまりは、この場合、あるきスマホをしていらっしゃるお客様が、集中の種類を間違えたんですよね?あるいは、僕の根性が、当然のように、ひん曲がっているから、そう感じるのかのどちらかですよね?日本のような安全な国に道徳は必要ないですからね。あ、それは今回のお話と関係ないです。笑

私たちは、いつのまにか集中というものを、とても個別的でプライベートの空間だけで、成立するものに限定してきてしまったのかもしれません。産業革命によって、大量に均一の商品をつくる近代社会において、個々がしっかりしていれば、全体もしっかりしているという、工業理論からうまれて、今日そのことが、個人主義になり、いまのような社会になってきたのかもしれません。またそのことを、正当化するように、全体主義は、即、戦争につながるからやめましょうみたいなタグづけをして、回避させているような気がします。

わたしたちは、いったん公の場に出たのなら、場を形成する集中というものにも気を配らないといけないのかもしれない。

なんだか、話がそれて申し訳ありませんでしたが、今回の稽古で、みなさんが、どう感じて、どういう経験をしてくれたのかは、まったく想像もできませんが、感想として、「安心感」があったというのは、とても面白いことだと思いました。集中しろといわれて、集中して、「安心感」が出てくることって、普段あります???

しかも、ロミオとジュリエットのセリフを言う時にですよ。

こうした佳いと思える、ことの積み重ねが、文化につながっていくのが、いいですね。ありがとうございました。

次回の所作塾は11月25日です。よろしくお願いいたします

 

 

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