感性を誘導するために

所作に関する事柄です。
これらは、身体の感性に問いかけることでもあります。私たちは、自分の意志によって動くのではなく、どう動きたいのか、身体に聞いてみること、そうすることで、感性が豊かになっていくわけです。そもそも、文化とは、答えを身体に問いかけることだという観点からのお話です。

概念からの解放
私たちは、普段、生活を簡略化、オートメーション化を進めていて、いつの間にか、機械として身体を構築しています。これでは、概念だけの生活になり、感性が動き出すことはありません。感性を誘導するために、まず感覚を経験していくことから、始めます。例えば、立つことは、足が支えますが、その足を、足の裏という概念に(全体化)してしまうと、感覚は生まれません。ですから、あえて、局部化して見るわけです。足の裏の右と足の裏の左で、立つと言った具合です。こうすることで、まずは機械性から身体を解放して、感覚を生み出すわけです。

誤解されやすい内容が含まれています。なので無断転載絶対禁止でお願いいたします。

正座から礼
立つ
歩く

 

命題

Je sens, donc je suis.
我感じる、故に我有り

デカルトの我思う故に我有りの命題を日本風になおしました。日本文化の原点です。

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補足メモ

  1. 2019-3-8

    精神は、身体に触れられない

    こう切り出したら、ある人から、いえ、私は、身体にいつでも触ることができますよ、むしろ精神には触れない…
  2. 2019-1-4

    錐体系と錐体外路系の運動

    私たちは、何か行動を起こすとき、意識している行為と無意識の行為があります。つまり、自覚的行為と無自覚…
  3. 2018-2-20

    量子力学的な身体観

    現代では、精神が身体よりも上位に位置し、身体を生きていくための道具と捉えているからでしょうか?身体を…
  4. 2018-2-16

    識別感覚と同調感覚について

    前回の「理解という概念の固定化」の続きのブログです。この問題は、何度か伝ふプロジェクトでも書いていま…
  5. 2018-1-8

    理解という概念の固定化

    最近では、理解しないと動けないという人が、増えています。ワークショップをするにしても、最初に座学を入…
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