正座から礼

外国人が、立っていることをスタンダードと言ったように、日本人にとっては、座ること、正座は、身体を捉える上でとても便利な行為とも言えます。理解も早くなり、下半身が活きてきます。ただ、現状では、どんどん正座が出来ない人が増えている傾向にあるようです。僕も、出来ますが、長時間はまだ無理です。まったくの基礎であり導入でありながら、難しい問題になってしまいました。

実は、正座は、各段階においてやるべき事がたくさんあるので、一度に出来ることでもないのですが、
何度もすこしづつ進んでいける課題でもあります。

基本的には、意志と行動を切り離すことが行われます。
つまり、この場合、「座る」という行為を、意志から切り離す訳です。まず、手始めとして、座るという全体性をやめて、部分に意志を変えています。結果た座るわけで、座るという行為は、していないわけです。

・足を揃えて立つ
・重心を前に持っていく(腰を引かないように気をつける)
・どちらかの足を一足分引く(骨盤が重心側に逃げないように気をつける)
・引いた方の膝が真っ直ぐ地面につくように、身体を落としていく
・膝が畳についたら、重心を預ける前に、その膝を前に出して、左右を揃える
・足をはらって、跪座から、正座にする
・膝を隠すように、手を膝の上に置く

※礼
・身体を前傾しますが、腰の上の方で曲げないように、鼠蹊部を深く保つ
意志を強く使って腰を動かせば、だいたい腰椎3番が使われます。これは、四つ足になった場合、後ろ足を支えていた所なので、起点になりやすいわけです。気持ちが乗れば、動き安い反面、おびえた場合、腰が抜けてへっぴり腰になるのも、この場所かもしれません。ですから、冷静に気持ちに左右されずに、型として動けるのは、一つ下にあります、腰椎4番なのでしょうか?ちょうど、人差し指が、意志が乗りやすい反面、所作では扱いが難しいのと似ています。

また、礼をするという意志を行為に乗せないために、前傾するときに胸からは、絶対に行かない事です。むしろ、胸は拮抗するために後ろへ行こうとするぐらいです。あくまでも、背中から押された結果、礼をするというイメージになります。これでも、もっと局部性をだすために、感覚ポイントを増やして行くとこもできます。

*参考ブログ 正座と礼

誤解されやすい内容が含まれています。なので無断転載禁止でお願いいたします。

 

命題

Je sens, donc je suis.
我感じる、故に我有り

デカルトの我思う故に我有りの命題を日本風になおしました。日本文化の原点です。

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補足メモ

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