隠喩の効力について

東京キモノショーで、踊りをGhost in the shellという曲に合わせてやったわけですが、どんなメッセージがあるの?という質問も、頂きました。ありがとうございます。表向き、葛の葉伝説が背景にありますとお伝えしてありました。

うらみ葛の葉ですね、安倍晴明の母といわれるている白狐ですが、狐であることが、ばれて人間界を去るわけです。こういったお話は、すべてばれたらお終いで、異種のものが去るわけですが、どうして去らなければならないのか?というご意見も、現代感覚で、面白いです。ただ、こうしたお話は、たぶん隠喩であると思われます。では、何を隠したのか?ですね。グローバル化が進む現代で、移民を受け入れる受け入れないは、重要な問題になってきますが、こうした異種に対する日本人固有の価値観が、こうした物語のなかに隠喩として隠されているのかもしれないとしたら??どうしましょうか?そんなお話は、大問題ですし、立場上意見することはできませんから、しませんよ。笑

本題に戻って、今回の曲のことをちょっと書いてみます。Ghost in the shell(攻殻機動隊)の歌詞の最後は、「恨みて散る」です。うらみ葛の葉と、うらみで韻がそろいます。ただ、これは僕の勝手な解釈かもしれませんが、Ghost in the shellは、物部氏のお話だと思うのですが、人形遣いでもあった物部氏は、滅ぼされます。つまり、恨みて散るわけですが、滅びてもゴーストとして生き延び現在をも支配しているわけです。そして、その物部氏を滅ぼしたのは、秦氏ですね。はい、狐信仰です。そして、その後、秦氏も結局、歴史から抹殺されます「うらみ葛の葉」です。そして、隠されて同じように現代に生き続けています。能は現在も引き継がれていますよね、秦河勝から、世阿弥へと引き継がれていく訳ですが、そして「秘すれば花」とか、言ってしまうわけです。

ここで、うらみという同じキーワードの上に、物部氏と秦氏という、ちょっと強烈すぎる対立構造が、出来上がりました。これは、考えると恐ろしいです。

舞扇は、赤と白の和紙で、封印をしてあります。魔除けとして、結界をはらせていただいてます。

今回、狐のお面をかぶった女性は、黒留袖を着ています。つまり、フォーマルです。しかし、人間である安倍晴明?役の女性は、着物を崩して着ています。ここにもう一つの対立構造が、できました。現在のアンフォーマルと、過去のフォーマル、しかも、異種であるはずの狐が、日本の伝統を重んじて、現代の日本人が伝統を無視しているという構造です。

そして、当然、葛の葉と安倍晴明は、うまくいきません、神様が怒り、雷を落とします。しかし、この時、振りとしては、たぶんわからなかったと思いますが、葛の葉はある玉を安倍晴明に渡そうとしています。つまり、稲荷の狐と人間は、玉と、鍵を持ち、それが、二者間で合致したときに、夢が叶うという伝説を残します。雷は代わりに、花火になり、打上花火の時に、玉や~鍵や~と声をかけるのは、夢を叶えるためのお作法なのかもしれませんね。しかし、ここで、みなさん間違えないでくださいね。狐(異種)と人間の、共同作業(玉と鍵)で初めて夢が叶うのですよ。

さて、これらの事は、実はどうでも良いことで、後からいくらでも体裁を整えられる話です。問題は、何が伝わり、何が起きるのかということです。そして僕は、今回、この効力の仕組みとして、「型」が仲介するのかもしれないと思えてきました。上記の事は、いっさい説明する必要のないことなのです。説明しても、ああそうですかで、終わります。笑。ただ、「型」として何かが動き始めたとき、こうした二重構造や、対立構造などの隠喩が効力を発揮しはじめ、ある種の幽玄さを引き出せるのでは、ないのか?という壮大な、仮説を打ち立ててみることが出来るのです。

利休は、弟子に渡した茶さじに、「泪」という銘を入れました。くだらない歴史学者が(暴言ですよ)、切腹を言いつけられたことが悔しかったんだろうと解説しますが、とんでもない。「型」の最高のところに、理由なき「泪」が存在すると言いたかったのでは、ないのでしょうか?数々の隠されたものが、型によって引き出されたとき、意味もなく泪が出てくる。それが、型の行き着くところであると、僕の仮説から、繰り出せる訳です。もう、無茶苦茶でごめんなさい。とりあえず、謝っとく。

私たちの日本文化は、これまで、とことん、いろいろなものを隠すという記憶方法をしてきた、そして、その複雑に入り組んだ文化構造は、「型」をもってして、その効力を発揮するのでは、ないのでしょうか?日本文化を語ると、ネガティブだねって言われてしょうがありませんが、笑。本来は、語らずに所作を持って、表現し、また理解していくことなのかもしれません。という、あくまでも仮説です。

 

 

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