ホモサピエンスの終了?

ホモサピエンスが生き延びたのは、他の種族より
体力が有ったわけでも無く、知性があったわけでもない。
単に、嘘をつく能力と、嘘を信じる能力があったからだ。
という説は、ご存じでしょうか?

戦後最長の首相として安倍○○さんは、嘘しかつかなかった人で、そういった意味では、ホモサピエンスとして、正しい営みなのかもしれない。それを、可能にしたのは、マスコミのさらなる大嘘つき放題で、それもまた、正しい人間の営みなのかもしれない。
ただ、問題なのは、あまりにも長い間くだらない自己保身のためや営利目的のための愚劣な嘘の大量の垂れ流しのために、私たち側に、嘘を信じる能力がなくなってきたような気がします。

これは、大問題です。嘘はつくひとと、信じるひとがセットで成り立ちますが、私たちは、どうやら信じるということが、だんだんあほらしくなってきた。私たちは、自分たちと同じホモサピエンスが信用できなくなってきた。つまり、自らの手で、他の種族より優れていた利点をどうやら終わりにしてしまったようです。真摯に取り組み信用回復に努めますと言われても、もう誰も信用していないのです。もちろん、正しく洗脳されているひとは、まあおいといてください。笑

そして、身体側から、見れば、接触拒否です。

ひとたび、健康という概念を人質にとれば、いとも簡単に全体主義と管理社会が完成できた。ヒ○ラーもびっくり。
私たちは、この清潔信仰のために、いずれ、子供はアマゾンで、買うことになるのかもしれません。極論すぎる?笑

人に触ることは、もうそれだけで犯罪です。ハグや、ビズ、どころか握手もしなくなるでしょう。そして、世の中から、ボタンといわれていたスイッチもなくなりつつあります。鉛筆を持たなくなります。箸をちゃんと持てません。つまるところ、脳みそ以外は、必要がないものとして、退化の一途をたどるわけです。便利という言葉におどらされて、能力という能力がどんどん失われていきます。ちゃんと動くとは、ロボットの様に動くことです。

私たちは、他人との接触という、あたらしい未知のものへのアプローチ方法と機会を失っていくことに危機感がないわです。
コロナで、接触を拒否しますが、他者と接触をしない人間が、未知のものへの対処方法を、けっして発見できないということに気づきませんか?自分の枠だけで、試行錯誤しても、他人には通用しないってことに気づきませんか?神社は、疫病対策として作られた神社も多くありますが、その神社をコロナだからといって、回避することのパラドックスに気づきませんか?

ヒ○ラーさんのいたドイツのメルケルさんが、ドイツは科学で勝利すると言ったらしいですが(それヒ○ラーだから)、科学で解決できることなんか、もうありませんよ。だって、科学はすべて営利目的か政治目的なんだもん。ためしに、安倍○○さんが嘘つきだとか、原発のしたに活断層帯があるとかないとか、科学で、解決できますか?絶対無理でしょう。だって、営利や政治がからみますからね。笑

最後、人類を救うのは、科学ではなく文化ですよ。

そう言っても、だれも賛同しないほど、近代の教育システムは、素晴らしく機能していて、神ではなく科学を信仰しているわけです。これらが、すべて

そう、すべてホモサピエンスの終了に向かっている?
そろそろ終わりにしますか?

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