文化的体験から、概念理解へ

反社会勢力とは、付き合ってはいけません。
というのは、よく聞くお話ですが、なにか、申請書をだすときに、そういった団体とは関わりがありませんという、誓約書にサインとかしたりしますよね。
ところが、元総理の安倍晋三さんが893さんの工藤会さんとお付き合いがありましたものですから、慌てて、
閣議決定にて、反社会勢力とは定義できない!ということになりました。つまり、実体がない架空の定義もできない団体とお付き合いしませんという誓約書にサインをするわけです。面白いですね、反社会勢力とは、概念があるだけで、触ることも見ることも出来ない団体なわけです。

不思議なのは、科学者がよく科学的根拠がないものは、信じられないという主張を、よくされますが、この場合のこうした概念は、何も示していないのに、普通に理解して、平気なんですね。このことは、とても面白い現象じゃないかと思うのです。誰も突っ込まないし、有識者や科学者さんたちも、意外と平気なのです。

学生の時ですが、コップに水をなみなみに入れますと、コップの縁よりも水のほうが盛り上がっても、ある程度は、こぼれませんよね。これって、どうしてこうなるの?、という質問を、いろいろな人にしますと、皆さん、決まって言うことは、それは表面張力だからだよって、答えます。いやいや、表面張力って言葉は知ってるけど、だから、どういう仕組みなのって、聞き直すと、そんなことは知らん、おまえバカかと怒られます。

あれ?ちょっと変な感じですが、理解の仕組みってこんなものだったりします。つまりは、言葉を入れ替えただけみたいな。
水が、球体になるのを表面張力という言葉を当てはめて、理解したとするわけです。だから、どうして?と聞けば、表面張力といい、じゃあ表面張力ってなに?って、聞くと水が球体になることって、言うわけです。辞書ってこんな感じじゃないですか??笑

さて、こんな風な概念理解をどんどん進めていくわけですが、そういう訳にはいかない事もあります。それは、経験してしまったことです。

経験があるのに実態を捉え切れていない物、このことこそ、何かあるという前提のもと概念理解のままで、進めれば、いいはずですが、なぜか、そこは科学者が許さないわけです。たぶん、科学の存在が根本から脅かされる可能性を持っているからだと思います。ですから、とたんに科学的根拠を求めるわけです。

そうして、経験された物は、とことん実証主義に走るわけですが、その結果どうなるかというと。実態は決してつかめないものですから、

陰謀論、というか、迷信、洗脳、宗教、として、実際は無かったことにする、気のせいにするというわけです。

例えば、この「氣」こそは、まさにそういった意味で、象徴的存在ですね。

科学的根拠が得られないので、たぶん氣という概念は、都市伝説か陰謀論になるわけです。笑
最初っから、概念しかないものは、概念理解がすすみますが、経験がともなった概念は、どうやら許せないという仕組みなわけですね。

不思議なものです。が、このことを踏まえますと、理解の妨げになっているものの原因みたいなものが、見えてきて参考になるかなと思った次第です。

そして、どんどんどんどん、概念理解だけの世界が広がり、経験を伴わない記号化された社会になっていくのでしょうね。

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