明確でわかりやすいこと
随分前のことですが、ある地域の地方創生みたいなイベントに参加したときのこと、
街を案内して頂いて、おいしいものを食べて、楽しかったのですが、最後に、今日の成果をまとめるためにグループセッションしましょうって、事に。まあ、しょうがないな~と思いつつ、グループで意見を出し合う。そして、最後に成果発表!わ~、嫌いな奴だ~と、閉口しておりましたら。同じグループにいた、女子大生の人が、私やりますよと言ってくれました。すげ~~。
そして、見事なプレゼンをこなしてくれたんです。素晴らしいですねと賞賛いたしましたら、ああ、プレゼンは、明確であること、わかりやすいこと、それだけですよ。こういうの毎日の様に学校でやっているんですよ。と。さらっとね。笑
僕もお店はじめて、みんなから毎日の様に言われるのが、この事です。お店のコンセプトは何?それ明確?わかりやすいの?そうでなければ、宣伝できないし、お客様来ないよってね。
これ、滅茶苦茶にがてです。ていうか、文化って、真逆の立ち位置ですよね??
とは、言うものの、それは、現状では出来ないことの言い訳にしか聞こえんですよね。
本当のところ、文化って、幽玄だったり、夢かうつつかわからないことだし、明確ではないところに軸足をおいているわけです。
そうなんです着物は文化だし、販売は、経済だし。ほっておくと見事な二項対立なってしまいます。
これを、三項にしないといけない。
*明確であること 経済活動
*曖昧であること 文化性
*○○? ここがテーマ
この○○を探さないと、
僕にとって、わかりやすいこと、明確であることに、アクセル全開で、全集中する気になれないし、そんな結果だけしか、評価してもらえないような人生は、ちょっと、今からじゃあ、無理かなって思う。
また、そうやって、明確さにストレスを感じている人たちにも、何か提案できるような、生き方っていうか、全集中の方向性の多様性を提案できたら、いいなぁ~。
例えば、子供たち、子供は、未知の事に興味をもち、どんどん進んでいく、ところが、学校や大人が、子供に教えることは、大人や先生にとっては、既知の事ばかり、そんな既知のことには興味はわかないし、つまらない。やがて、学校というところは子供にとって、我慢をするところになってしまって、その退屈さに耐えられない子供達は、登校拒否をになってしまう。
つまり、学びの場というのは、誰にとっても未知なことに挑戦していく場なんじゃないかって思うし、そういうことを心がけると楽しいワークショップが出来そうですよね。もちろん、学校でそんなことをしたら、先生が叱られるでしょうけどね。
とりあえずテーマは、この未知なことに取り組むですね。
着物は伝統のあるものですが、まだ未知な領域ってあるんじゃないかって思うし、
身体と着物の関係性って、面白そうなんです。
みなさん、そんなこと考えている変な店長ですが、着物は、普通な物ですから、いらしてくださいね。