所作は古い事なのか?
所作といいますと、どうしても礼法とか、マナー講座と勘違いして、堅苦しいイメージがありますよね。
中には、江戸しぐさと間違えたりしまして。「所作ですか、いいですね、今度、子供たちに教えてあげて下さい~。」って言ってくる人は、間違いなく、江戸仕草のボランティア団体かなんかで、僕が無料で、教えてくれるものだと思っています。あほタレか!。
まあ、いずれにせよ、古い物は、駄目な物という(商業主義的な)教育を生まれた時から、受けてきておりますので、若い人からすると、何を今更!とまず、先入観として思うのはしょうが無いところですね。
じゃあ、本当に所作は古いのか?といいますと、あれ?と思うことがあります。
それは、明治以降、すべてのものに対して、科学的根拠を求めるようになって、それ以前のものを捨てることになったわけですが、そもそも科学的知見が、江戸時代に追いついていないのでは??と思うのです。
いや、科学は、進歩しているのかもしれませんが、我々の理解が、物理のいわゆる量子力学や、熱力学、波動力学などに追いつけないわけです。経験も出来ないし、イメージも湧かないのでは?
僕の行った大学の工学部には、物理だけで11学課あるという、かなりに力の入った大学でしたが、ある日、教授がこう言いました。
「君たち、相対性理論とか熱力学とか、分からないだろう?」
「なぜ分からないか教えてやろうか?それはな、そんなこと分かっている教授はひとりもいないからだよ」
「そんなの当たり前だ、相対性理論を理解するには、アインシュタインなみの知能が必要なんだよ」
「で、いったい誰がそんなに頭良いんだ、そんな奴は、大学にはいないよ。そんな何も理解していない教授が、君たちに授業するから、当然、君たちも理解できない。」
「わかりましたか?だから、説明しないから、理解は諦めて、さっさと公式を覚えなさい」「そこですか!」笑
そういうことですよ。
でね。昨今の、科学的根拠信仰もよいけれど、結局、マスコミみてても、そうとう頭悪いでしょう。わかったふりして、報道していますが、なんか知性がひくすぎて、え?それ科学?って思うことが多いでしょう。笑
話が、大分それましたが、新しい物や西洋の物は正しい物という、おおざっぱな信仰というか先入観ですが、結局それって、物理でも医学でも、案外、ニュートン力学から抜け出せていないのでは?ないでしょうか?
567の事でも、生物学的や、熱力学や波動力学、量子力学的に解説するひとはいませんよね?
まあ、それはさておき、
所作というか動きに関しても、科学的なトレーニングだと、偉そうなことを言っても、結局のところニュートン力学でしょう?いまだにテコの利用とか、支店と動点とか、そんなところでうろうろしていませんか?だから、西洋科学的に運動すると怪我が多いし、引退が早いでしょう?
やれ、肘が壊れた、膝が痛い、とかストレスがたまったとか、ね。もうあとは、しょうがないから、カイロプラクティックだったり、精神論というか、コーチングとかスピリチュアルに進むしかなくなるわけですね。
じゃあ、いったいぜんたい江戸時代の所作はもっと最先端だったのかよ?って、そろそろ、みなさん、怒ってますよね。
ごめんなさい。そんなのわかりませんよ、でもね。
幽玄とか、影とか、間とか、氣とか、予感とか、空間操作とか、時間操作とか、どうですか?こうしたことたちは、ニュートン力学では、捨てるしかなかったものですが、熱力学や波動力学、量子力学的に考察をすれば、そんなのは意味が無いと否定できなくなりますよね。どうですか?否定できますか?
しかも、物理の世界では、理解するのに、アインシュタインなみの知能が必要だったのに、日本が作り出したそれらは、文化を通して触れることができ、また文化に身をゆだねれば、すぐに使うことが可能かもしれないという、ものたちなのです。
そして、そのあまりの奥の深さから「道」として、さらに沼にはまっていくわけですね。
科学的でないと捨ててきた物は、科学的理解力が足りていなかっただけなのかもしれないという、お話でした。
幽霊とかがいることを、科学的根拠でしめしてみろという人がいますが、幽霊を科学的根拠でしめさないといけない科学的根拠がないでしょう??わかるかな?
あれ?と思うか、思わないかは、あなた次第。笑