無用のすすめ

都知事の要請を受けて、イベントが次々に中止になっている。

不要不急の事を自粛するようにとのこと、公約を一つも守らないゼロを強調し、学歴も嘘確定的な都知事の要請を一致団結するためという大義名分のもと、みんな従う。しかも、サービス業だけが被害を被る、土日に限定するという。できるものなら、31日まで、会社に行くなって言ってみれば?そんな、理不尽な要請に、あがらう事もできずに、みんな当たり前のように従う。戦争もこうして、簡単に始まるんだろうなって、そんなことを実感をする。「どうして、あたなは、志願兵として、出兵しないのか?国を守るためでしょ?」と、まるで、そんな事を、いわれているようだ。(あくまでも個人的感想です)

かくいう私も、着物ドリーマーズのイベントを中止した。都知事の要請に従うつもりは毛頭ないが、正論をかざす人たちが、いろいろと面倒だから、しょうがない。ここまでの内容で、私のことを自分勝手なやつだと、思う人は、ほんとこの後は、読んでほしくない。

これで、私のしていることは、不要のこと、であると確定した。政府が使う言葉をそのまま使うのは、気が進まないので、「無用の介」でどうでしょうか?無茶苦茶ポジティブな解釈でしょう?笑。

無用のすすめ

おかげさまで、東京都のお墨付きで、私たちの人生は、無用の事と確定した。一瞬、むかついたのですが、冷静に考えれば、実は、このことは、素晴らしいことなのです。

なぜなら、文化は、無用な事からしか生まれないからです。有用なことはお金を生み出せても、文化を生むことは決してない。有用なことは、長い歴史のなのかでは、まったく必要のないこと、つまり短期的に、自己の欲求を満たすだけのしろものである。要するに有用なことは、戦争かお金か風俗しか生まないわけです。それにたいして、無用な事は、人類が生きていくための存在価値と、生命力を与える力となりえるものなのです。

これじゃあ、全然わかんないと言われそうなので、もう少し説明する。有用なことは、みなさん、使いたいですよね。どうして?有用だから、つまり、手段として使われる。手段としての価値を持てば、もはや文化になり得ない。だって、手段は合理的にはなれても、根源的になれないから。一方、無用な事は、だれも使わない。つまり無用だから、そうなれば根源的になりやすい。だれも利用しないから、原点回帰しやすい。道となりえる。要するに手段としての価値を失い、目的とするしかなくなる。この無用のことを目的にしたとき、自ずと、そこに文化が生れる土壌が形成されるわけです。

これは、もう生き方の思想のもんだいでしょう。

そして、難しい課題でもあるわけです。誰だって無用の事に夢中になるという行為は、勇気のいることですからね。イデオロギーと価値を捨てたときはじめて、見えてくるものがあるという。そんなことして、なんの得があるの?と思うでしょう。では、何のために生まれてきたの?稼ぐため?遊ぶため?楽をするため?
もちろん、それで、いい。ただ、生きるという行為と、感じることも見ることもできない生命をどう感じるのか?一体全体、そんなことに興味があるのか?いままでの価値観が変わるような、そんな経験をしたいのか、したくないのか?

人類の危機だといわれるウイルスに対して、
科学とか医療とかに頼って生きていくのか?

人間としての根源的な力を信じて、文化的に生きるのか?

そして、私は後者の人間であると、東京都からお墨付きを頂いたというわけです。
違うか?だとしたら、喜ばしいことです。笑。

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