型と式で捉える日本文化

写真は、鎌倉の長谷寺の近くにあります。ゲストハウス楽庵にて侍体験をした時のものです。

光岡英稔さんの著書「身体の聲」の中に書かれているのですが、日本人は、型と式で、物事を理解しようとするのに対して、西洋人は、ムーブメントとポジションで、捉えるということらしいです。これは、ちょっとすごい事ですよ!これを知っていないと、とんでもない誤解をする可能性があると思います。

結構、難しいお話なので、興味がある方は、この本を買って、良く読んでください。僕が、これから書く内容は、僕の私見がかなり入っていますので、冷静に判断したい人は、本から情報を得てください。

身体の聲 武術から知る古の記憶

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西洋人は、ポジションとムーブメントで、捉えて、テクニックが磨かれるので、「スポーツ」になっていくが、日本人は、型と式で捉えるので、自己鍛錬になり、いずれ「道」をめざすことになるというわけです。この事を、混同したまま、事を進めていくと、とても不幸なことが起きますよね。大丈夫ですか?つまりは、進歩主義か原点回帰になるか、どうかってことですね。

そして、一見、論理的に見えてしまう、西洋の理論ですが、それは、ムーブメントという非理論的に連続する動きに対して、精神性で、固定できる理論を求めた結果だというのです。そして、外国の言語は、論理的にできているから有利なわけです!。

日本の文化や芸術の世界に、理論的に解説できるものが、何も無いのが、欠点だと、だから西洋は優れていると、信じて疑わない人がいますが、ちょっと、待ってくださいよ。と言っても、そう信じている人は、考えを改めないと思いますが、、笑

つまり、日本人は、言葉では伝える事が不可能ものを型と式で、残しているわけですよ。それは、まあ、普通だとして、問題は西洋ですよ、いいですか?あの素晴らしい西洋文化は、適当に非理論的にやってしまったことを、恥ずかしいからって、あとから理論的にして、ルールとか作って、秩序を与えているだけなのかもしれないわけですよ!!!えっ??

日本に憲法がないのは、原点回帰で、自己鍛錬に向かう国民性で、道徳的だから、必要ないわけで、それが、進歩主義の勝手な人たちが、動き回るから、ルールや秩序が必要になるわけで、西洋などでは、早くから憲法や法律が整備されている必要性があるわけです。

まあ、そんな政治のことはどうでもいいけど、

例えば演劇をこころざす皆様が、尊敬してやまない、メソッドだって、ひょっとしたら、適当にムーブメントとポジションで演技したら、上手くいったので、じゃあていうんで、それを後付で、理論ぽくしたんだとしたら、その理論に従って、稽古したって、絶対に上手くいかないでしょ!結果論から導きだした因果論ですよ!???真似したらダメですよ。

スタニスラフスキーに至っては、国家ぐるみで、成功が約束された、結果論から、作り出された因果論なのは、みえみえでしょう。

だから、これを真面目に学んで、型と式で理解してしまう日本人がいても、ぎこちなさしか鍛錬されないわけです。

やればやるほどすごくぎこちなくなるという現象が起きます。
真面目だけど通用しない。
昭和から、平成にかけて世界を舞台に戦えた日本人は、型に囚われなかった人です。(上記の書籍より)

これが、ザ・日本人なのです。笑

お金持ちが、あのとき、僕は、海鮮丼ではなく牛丼を食べたのが、運命の分かれ道だったと言っても、みんなが、真似して、海鮮丼ではなく牛丼食べたところで、お金持ちには、なれないですよね。アホなひとは、たぶん真似すると思いますが、、、これは、例え話が、それまくりました。すみません。

つまり、入門書とか、読んで、演劇したって無意味で、とりあえず、しのごの言ってないで、演技してみろよってことですよね。それが出来ないのなら、向いてないというか才能が無いわけですから、ハリウッドとか行ったらダメですよ。そういう人は、日本人的な人なのですから、伝ふプロジェクトという良い団体がありますので、そちらの方へ是非いらしてください。笑

そして、最近の若者たちは、この型と式から、外れて、ムーブメントとポジションで、取り組む人たちが、生まれてきて、世界で通用するスポーツ選手が、生まれてきたという訳です。つまり、その人たちは、日本文化をすっかり捨てることが出来たというわけですね。

これは、難しいお話ですね。

しかし、この事は、知っておくことが重要だし、ダブルスタンダードになっている現状の日本は、複雑になりましたが、自己矛盾を内包するという観点からみれば、つまりは、それが武器になるかもしれないわけですし、少なくとも自分は、昔ながらの日本人的とらえ方しているのか?新人類になっているのか、確認しておきたいところですよね。とても、重要な事だと思いました。ではでは、、

 

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