接触拒否による感性の衰弱

新しい生活様式というキャッチフレーズのもとで、私たちは人と会う機会をどんどん、喪失していっているのかもしれません。

会社での、デスクワークや、学校での授業など、わざわざ人が集まらなくても、可能なことだし、効率的にも有効とだと考えているわけです。そして、なによりも、人に会わなければコロナにかからないし、健康に良いと考えているわけですね。

本当に、皆さんが、そう思っているのかは、定かではありませんが、マスコミまたは政府などの責任の所在のない無人格の声に従えば、そういう方向に社会が動いているのかもしれません。

人が集まることを制限するのは、歴史的にみてみれば、国家が国民を縛るために、まず最初に取られる政策であることは、明確です。もちろんそれが、コロナの正体だとは、決して思いません、、笑。でも、まあ、とりあえず知ってて欲しいところですね。ですから、暗いところに人が集まる劇場や映画館は、いまだに警戒されて、いろいろと規制がうるさいわけです。

そんな、政治のお話は、ブログになんの関係もありませんが、接触がなくなれば、感性が衰弱することになります。なぜなら、感性のベースは、接触感覚にあるかもしれないからです。私たちは、科学の進歩という、つまり、便利だからという、甘い汁を吸うことで、身体の個人能力を失ってきました。それは、恐るべきスピードで身体の劣化を推進してきたわけですが、今度は、いよいよ感性も劣化させようという世の中の流れになってきたのかもしれません。ただ健康のためという、そのキーワード一つのために、感性も殺そうとしているのかもしれません。もう、ここまで来たら、なんのために生きているのか?よくわからなくなってきますね。無菌室で、一生を終えることが、幸せなのか、冒険をして、外に出ることが、幸せなのか?せめて、個人の判断にまかせてもらいたいところです。ちょっと、前まで、ありのままでいいって、映画みて感動して涙しましたって、いっていたのにね。笑

ですから、たった一度の人生だから、健康のために家にいましょう。ということを真剣に考えるわけです。笑

昔、フランス映画祭の上映後のティーチインで、ある日本人のお客様の質問、
「どうして、こんな難解な映画を作るのですか?」という問い対して、
映画監督さんが、
「わかるとか、わからないとか、伝わるとか伝わらないとか、そんなことどうでも良い、たぶん5年後ぐらいに、あなたはこの映画のこと思い出して気づくから、そして、本当に大事なのは、ここにこうして、みんなが集まって、一緒に映画を見たという事実が大切なんですよ!こんな、かけがえのない瞬間があるだろうか、僕は、そのためにフランスから来たんですよ!いいですか?それが、映画というものの本質なのです。」

こんな話は、ネット上で、映画をみて喜んでいる私たちには、耳の痛いお話ですね。笑

ネットの進化によって、多くの情報が、スムースに伝えられるようになったので、会う必要性がない、と考えるのかもしれませんが、しかし、その伝わったと考えた情報というのは、可視化でき、しかも容易に認知し理解することができる情報だけのことですよね。

それで充分だと考える合理化された社会通念を、もういい加減、そろそろ止めないと感性もへったくれもない、AI化された面白くもない人間ばかりに本当になってしまって、ロボットのが人間らしくなりますよ。

人間が人間らしい生活を送るために文化があるのかもしれませんが、そのもっとも基礎になるのが、接触感覚ではないのでしょうか?そして私たちの触覚感覚は、とても優れていて、ロボットに人間ほどの触覚を与えることは、とりあえず無理ではないのでしょうか?、もしそんなことが出来るようになったら、もう結婚も風俗も、お金のためだけで、こころをかよわす相手は、ロボットのほうが、いいやって、ことになるでしょうね。笑、暴言。

そして、触覚が、視覚聴覚味覚臭覚、心の動き、すべてを網羅しているということは、どう捉えて考えているのでしょうか?科学的なエビデンスを求める人は、そのことをどのように考えるのでしょうか?そんな、微細なことは、無視して、捨てて無かったことにして(科学の常套手段)しまうのでしょうか?

空気を読めない人は、触覚感覚を使えてない人ですよね?皮膚は、色相だけではなく目に見えない光線までも知覚しています。音も、耳で捉えられない音も皮膚は聞いています。電極の位相も皮膚は認知することができます。呼吸も皮膚が補います。そして、触覚に響かない古典文化や芸術はありません。情報伝達から、行動の発動まで、脳を経由することなく皮膚だけでもおこなうことができます。個という自我は、この皮膚感覚がなければ、消滅してしまいます。人は、一人では生きていけないと考えるのも、この接触感覚を必要とするからでは、ないのでしょうか?

ネットで、すべてが事足りると考える時、そのことによって、失われていくもののことについても、考えることが、とても大切な時代になってきたと思うのですが、それは、単に僕が、お年寄りだからでしょうか?

少し、心配になるわけです。ごめんなさい

 

 

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