無知の知
最近、僕はネガティブだと、周りから責められ、いじめられる事が多くなりました。ネガティブクリエーターという称号まで、いただいております。これは、僕が歳を取って、どんどんネガティブに磨きをかけているのか?それとも、周りのみんなのポジティブ信仰が、加速しているのか?は、どうもわかりませんが、ポジティブ信仰の人口が増えているのは、たぶん確かだと思われます。
どうして、ポジティブな人は、ネガティブな人を捕まえて、こう高圧的に非難することができるのか?もちろん、今、流行っているのがポジティブなので、時流に乗っている強みがあると言えば、ありますが、それよりも何よりも、ポジティブな人たちが、ネガティブな人たちの理屈を完全に理解していると、信じきっているからだと思います。同じ理論上にポジティブもネガティブも存在していると確信しているからこそ、他者に向かって、意見できる訳ですね。これって、まさか同じ穴の狢ってやつですか?
これは、とても興味深い、落とし穴ですね。
こうした理論の掛け違いはいろいろありますね、バラエティ番組で、心霊現象の様な不思議な出来事を話題にしたときに、科学を絶対だと思っている信者さんが、不思議な事、例えば、幽霊などの現象を捕まえて、科学的根拠を示せと息巻いてみたりするわけです。これは、このポジティブな人たちの理論に、ちょっと似ているわけですが、僕に言わせて頂ければ、現代科学なんていう稚拙な理論で、幽霊なんていう崇高な現象を説明出来るわけないでしょう?おととい来やがれ!と思うのですが、どうでしょうか?
この事が、わからないと自他問題は、解決の糸口すら見つけることが難しくなるのかな?と思います。
医学の世界で言うならば、新薬の開発とかが、最初はとりあえず、実験室で行われる訳ですが、このことの大前提として、実験室でおきたことが、身体の体内でも起きるだろうという仮説が成立することですよね。でも、まあそんなことが、あると思えないので、動物実験をするわけです。それでも、動物と人間は、同じだろうという大前提としての仮説が、あるわけですね。そんでもって、最後は人体を使って検体をするわけですが、その薬が、有効であるという承認を受けるのに、献体で得られたデータの必要な確率が、だいたい3割程度らしいです。つまり、7割の人は、副作用のリスクだけを服用しているという訳ですね??あれ?ポジティブな人のアドバイスは、何割が役に立つの??
僕は、ネガティブ側の人間なんで、こうした一連のことをとても、夢のあるお話だなと、わくわくして考えています。どちらかと言えば、ポジティブな人たちは理系で、物理学者のように、一つの普遍的な真理があると信じて、それが、世の中を動かしていると思っている。ネガティブな人は、どちらかと言えば、文化系で、(だってポジティブな文化系はただの馬鹿でしょう?)一人一人が、違った理屈で生きていると考えているのかもしれない。つまり、ポジティブな人の中で、ニュートン力学が、みんなに通用する理論だと考えていても、実はネガティブな人の世界では、ニュートン力学は、崩壊しているとしたならば、これは、とても面白いことなのですよね!!
話が難しくなりましたが、ポジティブとかネガティブとかは、本当は、どうでも良いんです。僕が、言いたいのは、自分が考えて、信じている理屈ってのは、自分の中でしか成立していないのかもよって、事です。一見同じ様に見える世界であったとしても、自分と他人、体内と身体の外、地球と宇宙、などなど、すべては、まったく理論体系の違う世界だと、考えるべきなんじゃないのかってこと。つまり、無知の知を知ること。これが、生命活動なんでしょうね。
竜宮城に行った浦島太郎さんが、玉手箱を開けてしまって、箱の中をみて理解した瞬間、若さを失い、成長は止まるわけです。玉手箱の中は、竜宮城の様な、自分の生きている世界とは、理屈のまったく違う世界が広がっている。だからこそ、そのふたを開けること無く(理解すること無く)、接することが、生命として人間に与えられた夢なんだろうなってね。他人のことなんて、全くわかり合えないってことを早く知り、そのことに絶望するのではなく、わくわくするような出会いがあると思えば良い。そこにあるのは、理解では無くて、同調感覚の経験があるだけなんです。その接着剤としての役目のために、文化が、存在している。そんな試みをしてみたいと思っているわけであります。そして、そう考えると、現代の科学の世界は、もうとっくに玉手箱を開けてしまった後の世界なのかもしれない。。。残念ですね。