コロナに思う
緊急事態宣言が出て、いろいろと自粛ムードが広がる中、自粛警察など、世の中全体がおかしな雰囲気になっているなあと、思っているひともいると思います。また、そんな事を言うのも、気をつけないといけないような雰囲気です。戦争ってこうやって、反対意見を飲み込んでいくんだろうなって、漠然と思ったりするのは、僕だけではないと思います。
科学といいますか、医学というのは、コロナの原因の究明をしたりするわけですが、結局のところ、外部に敵を想定するだけで、それに打ち勝つ!という戦争の概念を持ち出すわけです。あとは、身体の外や内側に絨毯爆撃をするわけで、一般市民(人間にとって有益なウイルス)も巻き込んで、全面戦争になるわけです。それでも、徹底的にウイルスと戦うわけです。戦争スタイルとしては、やや前近代的ですが、それだけ医学の概念は進歩していないのかもしれません。
問題は、敵を外部に想定するところです。ですから、みなさん一丸となって、戦う気持ちになれるわけですが(戦争ですからね)、で、どうなるかといえば、○○のせいで、こうなった!○○のせいで、不景気になった!○○のせいで、貧乏だ!と○○のせいにする事です。
○○のせいにするから、自粛警察がうまれるんですよね。
国民全員が、自分は悪くないと思っているわけです。
でね、どうしてコロナウイルスが蔓延したのって、問いに対して、科学でなければね。今までの日本なら、きっと、こうですよ。
祟りじゃ!!!!きっと、何かの祟りに違いない!!!
こうすると、外部に敵を想定しずらいですよね。そして、みんな自分の行動を省みて、祟りがあるようなことをしなかっただろうか?自問自答しますよね。祟りだとする状況では、自粛警察も生まれなかったもしれませんね。笑
さてさて
自粛警察を生む科学が素晴らしいのか?
祟りを怖がって、自粛するのが、前近代で馬鹿らしく、あほらしいのか?
どっちが豊かな生活なんだろう?どうなんでしょうね。
僕は、祟りのが、知恵だなって思うのですけどね。
近代の合理化と可視化によって、すべて明確にして、すっきりして気持ちが良いかもしれませんが、少しでも未知なものに遭遇すると、たちどころに、行き詰まりをみせるのも近代の科学の特性なのかもしれません。
そして、私たちは、いつの間にか、パソコンに忖度して、知恵を捨てて知識を拾い集めるようなことを、していないでしょうか?それは、どちらかといえばパソコンのお仕事です。人は、知恵を働かせないと、いつの間にかAIに支配されてしまうような気がするのです。
そして、ウイルスに勝利しても、次は細菌、そして寄生虫と次々に未知のものに恐怖するわけですが、どんどん敵が、強力になっていることに気づいている人もいますよね。そのたびに絨毯爆撃では、人間の身体がもちません。コロナウイルスだって、結構、人間に忖度して、手加減してくれてるのでは?それでも、次なるボスキャラを求めて、次々にやっつけるわけですね。でもそれが、科学という進歩主義、合理主義の宿命かもしれませんね。
単なるたわごとでした