迎へ入る
日本は、引く文化であることは、誰でも知っていることだと思います。
なぜ、引くかといえば、例えば、武道の世界で考えると分かりすいと思いますが、ひとつには、他者を自分の中(ある自己空間)に迎え入れるためですね。そのためには、相手の懐に、自ら飛び込んだりもしますよね。かなり濃厚接触をするわけです。笑
つまり、敵といえども、自分が感じることができたり、見たりすることができるとろこまで、迎え入れているわけなんだと思います。そして、自らと完全に融合できたとき、たたかいが終わります。完全融合すれば、自ら命を絶てば、相手の命もなくなるわけです。と直感するわけですね。これを活人剣と呼んだり、武士の武は戦いを止めると書いたんだと思うんですけどね。もちろん、僕の勝手な解釈ですよ。奥伝にかかれていることも、そうですね。例えば、弓道阿波師範は、自分自身を射なさい。新陰流が、懸待表裡は一隅を守らず。一刀流が相手の後ろ姿を捉えたときにそのまま振り下ろせば必ず相手を斬ることができる。などなど。自他の境界がなくなることを目指しているのが、わかると思います。というのも、勝手な解釈です。
そして、翻って、現在の、コロナウィルス、
そもそも、私たちは、ウィルスのるつぼの中で、生活をしている。ウィルスがなければ、人間は死滅する。つまり、人間がウィルスに奇生しているのか、ウィルスが人間に奇生しているかは、判断できない。つまり、お互いが感応状態にあるのかもしれない。
これは、もう思想の問題であるわけです。
一部のウィルスが悪いことをするからと、共存共栄状態のウィルスに対して、わざわざ、断絶をして、全面戦争をしかけて、ミサイルや原爆を打ち込むのか?(戦争と医療の考え方ですね)対して、そもそも、相手の陣地にいる人間が、大切なウィルスもいるわけだから、彼らを迎え入れて、ともに自滅することで、戦いを止めさせるのか?
歴史は、明らかにどちらが、有効かをしめしていますけどね。そんな数字は、陰謀論として封じられています。
生まれたばかりの子鹿が、ライオンと出会い、餌食になるどころか、助けてもらうという映像をユーチューブでみたことがありますが、生まれたばかりの子鹿が、ライオンを見て、捕食される恐怖を感じなかったから、ライオンは友情を感じたのでは、ないですか?
鴨は、インフルエンザを運びますが、インフルエンザで死にません、免疫がないので、インフルエンザが忖度していると言われますが、そもそも免疫がないので、インフルエンザウィルスを攻撃しないから、反撃されないのでは??
江戸が100万都市になったとき、ロンドンは、68万、パリが50万、歴史的には明らかに、西洋のほうが、古い都市です。パリはローマ時代からですからね。でもなぜか、病気や戦争で、人口が増えていないわけですよね~~。
今の日本は、完全に西洋思想に傾倒し、しかも自国の文化を自ら捨て去った国民です。気をつけないとね。
まあ、じじいのたわごとですよ。
私たちは、コロナウィルスと戦うのは自由ですし、戦う必要もあるのでしょうけど、ウィルスにたいして敬意をはらう必要はあるわけですよね???
恐怖や感情で、戦うのではなく、ある型と式で、対面する。そうすることが、日本人としての技であるし、敵に対しての礼儀ではありませんか?
なんか、ちょっとひどいことを書いたかも知りませんが、ご容赦ください
稽古とは、古きを体験し、思想をあらためること、というのが本来の意味らしいですよ。
頑張ります。