所作塾 No5
所作塾 No5 2018/10/22
今回は、初めての人もいるので、ちゃんと導入部分を丁寧に説明しようとして、実のところかえって難しい話になってしまったような気がします。反省してます。そもそも、2時間では収まらないお話でした。爆、しかも実技も難しかったですね。ごめんなさい。
私たちは、普段、何か突然に思いついたりとか、することがあると思いますが、そういったことは、たぶん、脳の中で行われていると考えられていると思います。そういった思いつきが、脳以外のところで、もたらせるというのは、科学的には、タブー視されているんだと思います。ただ、こうした脳が中枢だという考えは、理論上は分かりやすいのですが、実際の生活の中では、かなり無理がある考えである場合が多いですよね。
例えば、身に危険が迫った時の咄嗟の判断とかは、いちいち脳の指令を待っていたら、たちどころに死にます。じゃあそれは、どうやって動いたのでしょう?勘で動いているのすか?でもその、勘は、どこで行われている活動なのでしょうか?こうなってくると、もう科学は突然知らん顔して、沈黙するだけで、すでに解決済みにするか、誤差として無視するか、なかったことにするかどれかです。お金になるなら、もっと研究するかもしれませんが、笑。たぶん、脳の研究は、即軍事にもつながりますので、抹殺される可能性も含めて、こうしたことが庶民に還元されるようなことは、なかなか難しいんでしょうね。
そんなわけで、(どんなわけだ?)所作塾では、科学的思考は、しない流儀になります。つまりどういうことかと言いますと、原因を検証するのではなく、現象を検証していくわけです。どうして思いついたのかは、科学的なので、頭の良い科学者にまかせて、私たちは、思いついたという現象は、身体のどういう状態なのか?どういう事が身体の中で起きたのかという事を見つめていくことにするわけです。この現象を探る場合、脳の状態を確認は出来ないわけですし、出来たとしてもそれは、それはあくまでも脳の現象だから、また上に書いた理論がループするだけですからね。脳は精神が、使っているので、その隙に、身体に起きていることを見ていくわけです。
私たちは、習慣として、理解して動こうするわけです。つまり、理解は、原因をさぐる科学なのですから、精神作業です。しかし、実際には、理解したようには、動けないですよね?それは、身体活動だからですね。しかも、ある程度理解して、一生懸命稽古して動けたとしても、先ほどの勘に関することが、不明瞭なら、結局のところあまり実践的でないし、かなり時間を要する作業だと思われます。日本の古典芸能が、「理解するな」「質問するな」と説いたのは、そうした理由からかもしれません。身体に起きたことを、なぞってみれば、理解してなくても動けるかもしれないのです。理解しないで、動くから勘が働くのかもしれませんよね。しかも、それは、即、経験として落とし込めるわけですから、かなり時間の短縮にもつながるわけです。理解は遅れてやってくる。
もうここまで、世の中が発達していきますと、科学的思考は、AIがやってくれるので、私たち、そんな事に時間を費やす必要ないし、所詮、コンピュータには、勝てませんから、こうした思考から外れることが、とても楽しいし、人間的だってことにこれからなっていくんじゃないかな??そう思いませんか?ですから、所作塾に来てね。笑