裏から見る
裏見、つまり、恨み?
日本語は、一つの言葉に多様な意味を持たせています。ですから、例えば、「恨み葛の葉」の伝説は、物語を裏から見ないと内容が分かりませんよという、意味(暗示)なのかも知れない。笑。それにしても、日本は、この裏見が、大好きですね。風神雷神屏風図とか、光琳の硯箱とかもそうですしね。
この演技のヒントの中で、僕が何度も言ってきました。視線を消すという事ですが、普通、僕たちは、みてくださいといえば、自分の実際の目の位置から物を見るという事を想定しています。この実際の目の位置から、見ると視線は、消すのが難しくなります。ですから、違うところから見てみるわけです。例えば、裏見もその一つになるわけです。こうすれば、あっという間に視線は消えてなくなります。
これをどう文章で説明したら、いいのかと悩むわけですが、ここを間違えると、いろいろな面白いことが、全く理解できなくなりますので、とても重要なポイントなのです。慣れると至極当たり前の事になりますので、説明することをよく忘れます。ごめんなさい。面白い例としては、顔かなと思うのですが。みなさんは、自分の顔を見ることが出来ますか?
目は自分の顔の中心にありますから、実際の目の位置から顔を見渡すのは、なかなか難しいですよね。でも、みなさんは、普通は難しいなんて思わないですよね。それは、そう鏡があるからですね。誰でも自分の顔を鏡で見たことがあるわけです。確かに、鏡に映った自分の顔は、目の位置から視線を送ることができるので、違和感がありません。でも、これは、あくまでも鏡に映った自分であって、実際の自分を見ているわけではないですよね。左右が逆転していますしね。
科学はこういった、微妙なことを、結局同じ事でしょうと言って切り捨てる事によって、理論を進めて、ごり押ししますが、人間の行動は、そういう理論通りには、いかないのですね。なぜなら、だいたいの場合、科学が切り捨てたことが、一番大切な事ですから。笑(これは余談です)
それで、このブログは、演技のヒントなので、話題を変えて、例えば、笑顔を作ってください。とか、笑顔の練習?をする場合、鏡に映った自分を想定しているのでは、ないのでしょうか?もしくは、鏡を見て練習するとか?ですね。それって、左右が逆転していますよ、いいのかな?みなさんは、どう思いますか?試しに、鏡に映った自分の顔を左半分、右半分にしてみてください。とても印象が違うと思います。鏡に映った自分は、みんなが自分を見ているのとは、左右が違いますよ?え?違うよね。これ、かなり混乱すますね。
西洋的なシンメトリー思想でいけば、左右に違いはありませんが、それはロボットに近くて、日本の場合は、昔からこの左右差を意識していて、全く違うものとして、扱ってきました。(左を大切に考える文化)
そうやって、いろいろ考えていきますと面白いのですが、私たち日本人は、前から自分を、捉えるすべが案外ないのです。観点としての、前とか先は、ありますが、これは、どちらかと言えば位置関係のことではなく、実は、時間の流れのことを意味しています。着物を右前で着なさいと言われれば、右が位置的に前なのではなく、時間的に先に行われましたという事です。先週といえば、先にある未来の事では無く、時間的に先に行われた事ですから、過去の事なのです。
時間軸としての、前後ろは、とても気にして、技として採用されたということですが、位置としての前からみた自分は、技として使えなかったという事なのでしょうか?一刀流夢想剣の極意にも、「太刀を振りかぶり、相手の後ろ姿を捉えたときにそのまま振り下ろせば必ず相手を斬ることができる」とあります。これは、相手の背後をとって後ろから斬れとかいう卑怯なことを言っているのではなく、たぶんですが、人は後ろからとらえるべきものなのでしょう。左右逆転がおきませんし、背骨を捉えることがやはりこの場合重要なのでしょう。
それで、以前、能衣装を着たときに思ったのですが、実はこれは、見た目から感じられる世界と違って、中はそれとは全く違う異空間なのです。そう、中と外は、全くの次元が違う世界が広がっているように感じたのです。つまり、外と内の世界、表と裏の世界なのです。
これで、なんとなく分かったような気がしませんか?。顔は、前とか後ろという観点では無く、そして鏡に映った自分のことでも無く、面(表)と裏の世界なのです。そして、動くのは裏になるという事ではないでしょうか?そのことを理解するのに、この能面というものは、とても有効なものとして、理解の手助けになるとお思います。
能面の裏側の写真がないので、狐面ですが、私たちは、自分の面を裏からみて、そこを動かして笑顔を作りなさいという事です。これなら、左右逆転は出ませんし、表を動かすのと違って、微細な表情を作れるわけです。日本の俳優の表情がどんどんわざとらしくなるのは(内緒)、鏡に映った自分を想定し、それを誇張して、表面しか動かさないからなのではないのか?と思うのです。笑顔がどんどんステレオタイプになるわけですし、写真撮影の時、笑顔が固まってしまったという経験をモデルさんなら、誰でもおもちだと思います。でも、世の中のニーズがそうなのだから、しょうが無いということにしておきます。
つまり、観点としての、自分は、前後ろではなく、表(面)と裏というとらえ方をしてみるわけです。そして、この裏からみた自分の顔は、実際の目の位置から見た自分ではありませんよね。これで、ようやく視線が消せたわけです。長い説明でした。汗。以後、この要領で、視線は、どんどん消していけるわけですが、そう簡単な話でもないのですけどね。笑
視線が、消せるということが、つまりは、日本文化の入口に立つわけです。そして、技の世界の導入口にもなっているのだと思います。