所作塾はじめます
この「武士のならひ」のブログ内容は、多くの方が意味不明だと思っているかもしれません。笑。本来、言語化が難しい内容だったり、説明できないことをなんとかヒントだけでもと、文字に起こしているので、かなり無理があると思います。それに、みなさんそれぞれに、これまで生きてきた価値観があるわけですから、その価値観と違う内容でしたら、拒否反応が起きますし、そもそも読むことが不快なのかもしれません。
つまり、価値観が変わらない限り新しい考えというものは、普通の場合、浮かんでこないわけです。科学的思考は、どこまで行っても科学的思考になるわけですから、文化が大事とかいっても、文化を単に科学的に分析しているだけのことで、根本的には難しい問題がそこのには、あるわけです。
そう考えると、やはり、身体を動かして経験することが、固まっている価値観を崩すことができる、唯一の方法なのかもしれません。経験したことに、素直になれる瞬間があれば、その時はじめて、自分の持っている価値観と違った価値観を受け入れられる瞬間なのかもしれません。茶道で言われるところの、一期一会は、本来そういった瞬間のことを言っているのかもしれません。その経験したことを素直に感じるためのお作法が所作という事(準備)になると思うのです。
じゃあ、いったいどうして、そういう事が、起きるのか?というか、可能なのか?という事ですよね。にわかに信じられないと思います。僕もなぜ、そうなるのか、実際にはよくわからないのです。笑。ですから、理屈で、納得するしかないのですが、たぶん、こんな理屈だと思います。
まず、現代の人が、大きく誤解している?ことは、身体は精神がコントロールしている、いや出来てると思っていること、また、そうあるべきと考えていることだと思います。自分の思い通りに身体を動かせることが、才能があることだし、そうするために集中し、鍛えているんだという事です。ですから、自己啓発にしても、ポジティブシンキングにしても、演技にしても、ほぼ精神論であったりするわけです。その流れで、日本文化も精神論でとらえようと試みる人もいます、「武士道」とか、「葉隠」とか、それが日本人の精神だ!という訳です。
ところが、信じようが信じまいが、人間の行動の9割以上は、無意識で動いています。錐体外路系が使われたりするわけです。ですから、精神が立ちすぎれば、行動はぎこちない動きになるわけです。精神論者は、ぎこちないのは、稽古が足りないからだと、たぶん言うでしょう。でも、このこと無理でしょう、ハンマー投げの室伏広治さんが、その著書のなかで、ハンマーを離す良いタイミングは、0.04秒しかないと言っています。これは、精神や、脳が扱える時間の単位ではありません。神経の伝達スピードを超えている話ですから。じゃあ、どうするの?ってことで、ゾーンに入るという事をアスリートたちは、言うわけですが、つまりは、身体に主導権を渡したということだと思うのですが?言い方は、いろいろあるでしょう。
つまり、逆に言えば、身体は精神が思っているほど、精神の影響を受けていないとも言えるわけです。ですから、ガチガチに理論武装して、ガチガチの固定観念の持ち主であったとしても、身体は、その価値観の影響下に無いわけです。ですから、精神から離れた、純粋体験が出来たとしたら、そこで得られた感性は、やがて精神にもフィードバックされて、いつの間にか考え方も変わってしまうというわけです。
そして、西洋の哲学者たちが、考えても分からなかった課題である純粋体験は、案外、所作を通して行える事なのかもしれないという仮説を立ててみるわけです。私たちは、こうした体験の瞬間、「ふと」思うことの質を変えることが出来、今までとは違った人生を歩める可能性があると考えるわけです。
これが、所作塾をやってみようとする、だいたいのテーマであるわけです。かなり大きな風呂敷でありますが、実際は、地味に楽しく試せることだと思います。たぶん、普段、本当に精神活動ばかりをしている可能性がありますので、精神を身体の為に使うことは、気分転換にもなり、とてもリフレッシュできると思います。気になりましたら、お気軽に訪れてみてください。よろしくお願いいたします。
近藤康成