人間が人間を信用出来なくなる日
すでに、ある部分は人間は人間を信用していません。これは、たぶん人類存亡の危機でしょうね。(いきなり、笑)人間が人間を否定し始めているわけでして、詰まるところ、我々人類は自分たちを必要ないと自分たちで、烙印を押したわけです。あとは、人間排除システムが動き出せば、自然に押し流され、滅亡する時を待つばかりなのかもしれません。
まず一番進んでいるのは、接触の回避行動です。人間は、自らの不潔さが許せずに、人が触ることを嫌います。人が触った、食べ物は、怖くて食べることが出来ません。お母さんが握ったおにぎりを食べられない子供も、いると聞きますし、学校から帰ってきた子供の頭をなぜることが、不潔で出来ない母親もいるらしいです。人が触ることを許すぐらいなら、消毒液や洗剤を食べた方がましだと思っています。食器すら、人が触れることを許しません。Oー157とかは、単なる言い訳であって、人間の仲介がもう許せないわけです。そのうちに、高級ホテルといえども、配膳係は、白衣に帽子、ゴム手袋にマスクといった出で立ちで、料理を出すことになるでしょう。理容室はもちろん、歯医者さんやお医者さんがそうなったように、ゴム手袋をしてマスクをして髪を切ることになるでしょう。つまり、もう機械であるロボットのが安全なわけです。性交渉も、接触をしなくなります。キスなんて、なんて不潔な!ということになってきています。もうこんな不潔なことするぐらいなら、試験管で子供を作りたいと考えるようになるでしょう。痴漢のことを、絶対に許せないといきり立つのもの、ひょっとしたら、たんに接触が許せなくなってきた兆候なのかもしれませんね。(失言です)
はたして、何かをペロペロ舐める行為は、わんちゃんやニャンちゃんの特権とかすのでありました。
ここで、最大の問題はですね。根本的な問題として実は、精神は、接触をストレスだと感じているのかもしれませんが、身体は、非接触であることをすごくストレスに感じているはずなのです。そこで、あなたは、そんなはずはないだろうと、お考えですか?
例えば、赤ちゃんはちゃんと抱いてあげないと、自己免疫力が下がり死亡率が上がります。
なぜですか?
愛を感じられないからです。と言うと、科学的でないのでこのサイトでは珍しく、ここはひとつ科学的に解説してみましょう。笑。
ヤリイカの水槽内飼育に成功した脳科学者の松本元氏(↓に著書を紹介させていただきました)がその研究の中で、人は開放系で、循環することで生きている。それで、空気を吸って、食べ物を摂取して生きていると思われていますが、実はもっとも大切なのは、情報を取り入れて生きているということなのです。と言っていました。情報が完全にシャットアウトされた時、人の脳はその生命活動を終了せるように働くというのです。情報の終了は、生命活動の終了を意味するわけです。私たちは、食物から栄養を取っているのではなく、情報を取っているのだとしたら、太陽や土を知らない野菜から、情報を得られますか?自然を知らない動物から情報を得られますか?ましてや電子レンジで、情報をリセットした食物から何を得るのですか?(これ以上書くと僕が消去されますので、突っ込みはここまで)。エネルギーだけあって、情報のない食べ物だから、いつまでも足りないと感じて、食べ過ぎるのかもしれませんよね?食べても食べても情報量が質量ともにとても少ないのです。
まあ、食べ物のことは置いておいて、生まれたばかりの赤ん坊にもどりまして、視覚も聴覚も臭覚もまだ未熟な彼らにとって、最大の情報の入手先は、間違いなく皮膚感覚です。つまり、接触感なわけです。大人になれば、視覚情報が多くなりますが、それでも気になる情報というのは、視覚の中でも、その視覚の中にある接触感だとおもうのですが、いかがでしょうか?芸術にしても、絵の中に、写真の中に、映画の中に、そして、小説の中に、表現として接触感覚を持ち込むことは、常套手段なのだと思います。
そもそも、皮膚は脳よりも大切だという考え方もあります。脳は、半分失っても生きていられますが、皮膚は、三分の一失えば、死に至ります。呼吸も皮膚呼吸が大切です。精神活動で言えば、皮膚感覚が自我の形成に欠かせないわけです。情報量も情報伝達速度も、判断力も皮膚は脳よりも勝ります。例えば、熱いものを持ったとき、手放すなどの回避行動を脳の判断を待っていたら、人間は生き残れなかったでしょう。つまり、極論を暴言させてもらえば、接触を否定するということは、パラドックスとして自我を否定しているわけで、接触回避によって出来た自我は、もうすでにバーチャルな自我かもしれない?人間が人間を信用できないわけです。自意識が自我の源である接触を否定している。。。それでも、皆さんは、毎日いろいろなものに触っていますと、言うかもしれません。でも、その触っているものは、生物ですか??人工物ですか??衣食住という言葉が、ありますが、その衣食住の中にどれだけ、生命といえるものが残っているのですか?生命に触れられない自我が、生命のことをどう考え、どう判断するのか?
そして、現在、この世のシステムが、すべて接触回避に向かっていて、そのことが、人間機械論として、人間性を否定していることになるかもしれないのでは?と、問いかけをしようかなと思うこと事態が、おまえは馬鹿か!と思われるほど、症状は重いのかもしれない。笑
僕は、たまに東京フィルムセンターさんで、演技の講師をやったりしていますが、その都度、生徒に接触してしまいますが、そのうちにセクハラで、訴えられることになるんでしょうね。くわばらくわばら。
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