身体感覚の感覚って?
体感覚って言うと、とたんに、みなさん、分かりませんと言いたくなりますが、身体感覚なしには、どろろさんを除いて、生きては、いられないので、実は、だれでも感じていることなんですけどね。お腹すいた~とか、膝が痛い~~とか、まあどれも身体感覚なのです。ただ、最近では、こうした感覚を信用しないことが、近代というか科学ですから、いきなり感覚してくださいと言われると、まあ、びっくりして、難しいです~~と言うわけです。
自分が病気なのかも分からないし、食べ過ぎなのかもわからないし、酸欠なのかも分からないし、血圧が高いのもわからないし、ストレスがたまっているのかも分からないし、骨折ったってわからないし、すべて、第三者に言ってもらわないと駄目になりました。笑
下の感想は、ワークショップを受けた方の貴重なお話ですが、まさにこの不安をつけ込むのが科学であるわけです。それで、もちろん、いろいろなことを客観的に数値化したり、可視化して、分かったような気になりますが、失われていくものが、とても大きいというか、科学したいのか?芸術したいのか?ってことの分岐点でもあるということを知ってほしいところです。
「身体」の分野に戻りますが、今出た苦手意識という言葉を少し膨らませると、このワークショップで頻出するキーワードにぶつかります。
「感覚」という言葉です。
「……の感覚がわかりますか?」「……の感覚をズラしてみましょう」という文脈で使われることが多い言葉ですが、この感覚というのが私にとっては大きな障壁になっています。なぜなら、感覚はすり合わせができないものだからです。
「……という感覚がわかりますか?」「わかります」
例えばこのような会話がなされたとして、教える側からすると教わる側が自分の意図する感覚をきちんと掴んでいるかはわからないし、教わる側も「わかります」とは言えど、相手と同じ感覚を掴んでいるかはわからない。
これが算数のテストならば、途中式と答えが合っているかどうかでチェックできますが、感覚の場合は誰もチェックできないわけです。
私にとって、この正しい感覚がわからないというのは大きな不安になっています。
私は「身体」の分野が苦手で、それは身体の使い方についての基礎体力と経験値に差があるのではないか? という話を繰り返し書いていますが、まさにこの感覚が掴めるか否かで一番の差を感じます。自分が感じている感覚は合っているのか?
つまり、今自分が感じている感覚は、他人と同じなのか心配なわけです。
この課題は、心配しなくても、人類がずっと考えていることです。ですから、気にしなくていいのです。あるのは、それはねつ造してないか?とか、ほんとうに自然か?とか、まあそういうことが自己判断できれば、他人のことは気にする必要は、まったくありません。自分の感じていることだけを信じてください。
それで、どうやって人に伝えるの?って心配になるかもしれませんが、その心配があるうちは伝わらないのです。笑
だって、もうそういう生物なんですよ人間は!
では、一方で、科学的数値で感覚をしめすと何を失うのって、お話ですね。
例えば赤色、自分の見ている赤というものは、他人も赤と感じているのか????
それで例えとして簡単なのですが、真紅とは?大日本印刷に頼むなら #AD002D というわけです。周波数は、400Hzぐらいから480Hzってわけで、これで、皆さん同じ色を見ていると安心するわけです。笑
ほんとですか?たしかに同じ色を見ているかもしれませんが、その色から同じ感じを得ているかは、分かりませんよね。笑。
そして、ここが一番重要ですが、私たちが真紅と感じたいろは、役割があります。魔除けだったり、暖かさだったり、色にこめられた機能がいろいろあるわけです。だいたい、真紅を見て、逆になんにも心が動かない人はいないのでは無いですか?
ところが、これを真紅ではなく#AD002Dです。としたとたんに赤色の文化はすべて消え、ただの色に成り下がるわけです。なんの機能もしないただの400Hzが残るわけです。
これが科学の本質であり、これを理解したとすることの損失が、どれだけ大きいかもう一度、考えて欲しいところでもあります。
心と文化を捨てた、ただ同じものというこの客観性をお客様につたえても演劇は成立しないような気がしているわけです。