基礎が変わる
昭和の戦前の写真だと思いますが、この写真は、米俵を担ぐ女性とならんで、見たことがある人もいると思います。
この写真をみて、昔の人は、強かったとか、食べているものがちがうんだとか、よく働いていたからだとか、いろいろと議論が起きるところですが、僕は、根本的に力というものの概念が、今と違うのではないかと思うのです。
力を入れてと言われて、私たちは、踏ん張ったりしますが、この写真の女性のいったいどこに、僕たちが、現在考えているような力感があるのでしょうか?ありませんよね。現代においては、この写真のようなことをする人がいたとしても、ここまで、涼しい顔してできるでしょうか?こんな持ち方で、支えられるのか?そして、腕や手に筋肉が浮き出るぐらい力をいれませんか?少なくとも、頭の上の子供たちに動くなよ!と言いたくなりますよね?
明治以降、西洋科学が入ってきて、日常生活のすべてのことに、エビデンスを求められて、現代に至りました。そして、私たちは、生まれた時から、西洋科学に基づいたことだけを学校で学び、それ以外のことは、触れる機会すらなく、大人になるわけです。それまでの日本人が、千年以上かけて磨いてきた技や技術は、エビデンスがありませんし、西洋科学では理解できませんでしたので、すべて、喜んで捨てて、全くあたらしい科学というものに飛びついて、きたんですね。それはそれで、素晴らしいことであったとおもいます。
その反面、このような写真を見ても、まるでおとぎ話どころか、フェイクだと感じるのが、関の山になってしまいました。
実際にネットの書き込みを見ますと、合成写真だという意見が多いわけです。
ですから、現在の私たちの、概念で、いくら稽古したとしても、いくら身体を鍛えたとしても、この写真の女性のようには、なれないわけです。つまり、力というものの概念が、すでに違うわけです。
じゃあ、力って何だよ?って、怒るわけですよね。ですから、力は、血から、地から、霊から、ですよって説明すれば、おいおいそりゃ、都市伝説だろって。いい加減にしろって、さらに怒られるわけです。それほどまでに、ここ五十年ぐらいの営みだけが、最高の日本だと信じているわけですから、理解とは、なかなか難しいものです。
つまり、初心にかえるとは、まさにこの、基礎中の基礎をかえることで、応用ばかりいくら、稽古して磨いていても、もともとの思想が、ボタンの掛け違いだとしたら、あっという間人生終わるし、軌道修正が困難なわけです。
科学を信仰するのも大切なことですし、よくわかりますが、もう少し、柔軟に物事を考えられるようになれたら、もっと楽しいことになりますよ。そして、ほんとうの稽古とは、この基礎をかえることで、思想が変わってしまうような体験を稽古ですることなんだろうって、思います。