感性身体作り2
前回は、身体を、筋肉や骨や内蔵などと捉えずに、気、息、水、脈、力、として捉えてみたらどうなるのかな?というお話でした。その方が、身体を生きているものとして、捉えているような感じですよね。
ただ、こうしたものを扱うと、唯物論や因果論が、複雑になりすぎて、厳しくなると思います。ですから、科学は、見て見ぬ振りをしているんだと思います。そもそも生きているということの科学的根拠は、示せないとおもうのですが、せいぜい、死んでいないということが、生きていることの証明?ぐらいですよね?どだい無理ですよね?こんな科学の現状では、、笑
エビデンスがなければ、論文は、書けませんが、論文や企画書を書くことを諦めれば、そこには、自然の摂理はあるわけですから、そこまでにしておいたらどうでしょうか?科学的根拠はなくても、理はあるわけですから。しかも、楽しいです!
そうは、言ってもこの先の説明は、とても難解ですし、実技を伴わないと納得できないと思います。
そこで、誰でも気軽に、そうなのかな?って思えること、そう、それが「文化」というわけですね。いや、言うほど簡単じゃないですけどね。笑
例えば、日本文化でよく出てくるもので、「型」というのがありますが、みなさんはとても、固定化された何かのようなイメージがあると思います。それは、前述のように、科学的思考法のくせが、ある固形物をたよりにしたがるからですよね。でも、最近では、わかりやすいアニメが流行りました。そう、「鬼滅の刃」ですね。ここで、例えば、水の型が出てきます。これ良いですよね。つまり型は、ある流動する力を引き出しているのであって、何かを固定するためではないというのが、イメージしやすいですね。ある型が、無自覚の水や火や風などの力をひきだす、つまり、意識を型におとしこんで、無意識世界の自分以外の自分ならざるものの力を引き出すわけです。この場合は、氣、水、力?
そして、全集中、水の呼吸は、息、脈、力を生み出しますね。全集中、止血は、脈
他にも蟲の呼吸や、岩の呼吸など、いろいろと出てきますが、どれも自分の力を頼るのではないわけです。わかりますか?しかも、呼吸法は、限りなくたくさんあり、変化に富んでいるわけです。それに対して、現代のはやっている呼吸といえば、ヨガの丹田呼吸も、演劇の腹式呼吸も自分のことです。つまり自意識が強くなるだけで、それ以上でもそれ以下でもないわけで、流動する力を引き出すことはありません。
流動化する身体の可能性は、自分ならざるものを介して、無意識や無自覚の世界に没入する、そして、自分ならざる力や現象を引き起こす。というわけです。これが、いかに楽しいかわかりますでしょうか?笑。しかも、自分以外の力を借りていることを知っているので、当然けんきょにもなりますし、競い合うということもなくなります。ただ自分を滅することを務めるわけですね。これが日本の文化の根本にあるものだと思います。
武道、茶道、俳句、和歌、唄、踊り、能、などなど
どのみち、科学的根拠を求めたものは、明治以降のことで、それまでの文化は、氣、息、力などを求め、自らを滅して、自分ならざるもの、幽玄の世界へ誘うことになっていると思います。ですから、マインドフルネスとか、どれだけ現代のニーズに沿って作られたか、比較すると、とてもわかりやすいですね。もちろん、皆様の好きなものをすれば良いのです。とても便利なんですからね。
ただ、私たちは、前回書きましたように、役に立たないことをテーマにしております。つまり、感性を豊かにするための身体作りワークショップでは、自分探しをやめて、自分以外の生命活動、自然の摂理に興味を持つことなのです。となかり強引なお話でした。笑
ワークショップへのご参加をお待ちしております。