所作塾 No 3

所作塾 No 3  2018/8/6

今回は、若手が欠席ということで、ベテラン向きにやや、基礎からちょっと離れたこともやってみました。今、この武士のならひのブログでもテーマにしておりますのは、数寄と傾奇ということですが、そういうと、かっこいいのですが、つまりは、無いものを扱い、片寄ることを目指すことで、集中観を作るということをやっているわけです。シンメトリーを嫌い、過度な刺激を避けて、かすかなほんの一瞬のきらめきのような流れに乗ることを目指しています。そりゃ、超難しいわけですが、、。運が良いとか、悪いとか、人は良く言いますが、仕合わせは、示し合わせが良いわけで、そういう事を運が良いというのなら、間違いなく、運が良いのは、タイミングが良い人なのかもしれない。そのタイミングが良いというのは、どういうことなのでしょうか?

(スピリチュアルではありません!)この地球というか、世界全体は、もちろん、自分だけが動いているわけではありません。ありとあらゆるものが、動いていて、だからこそタイミングが問題になるわけですね。そのタイミングは、当然、自分の間合いではズレているのに決まっているので、自分の自覚できる意志を使って取ることが出来ません。運まかせ?いや、実は、なんたることか、身体は、森羅万象の生物の一員として、そのタイミングを知っているというわけです。つまり、身体に聞けば、タイミングは取れるというわけです。

さて、困りました。身体に聞くって?そうはいっても、現代は、この身体と精神の交流が、まったく断絶した状態が明治以降、長く続いていますので、困難を極めるわけです。逆に言えば、ぶっちゃけ文化とは、そもそも一言で言うなら、この精神の問いを身体に聞くということに集約できるんですけどね。それは、分かっているが、難しい問題です。でも、これは、よりよい人生をおくるためには、絶対、必要な気がしていますので、僕としては、しつこく追求してみたいと思っています。もちろん、手詰まりしてますが、笑。みなさん、よろしくお願いいたします。アイデア募集中。

所作塾では、オブザーバーの方にも来てもらって、意見を頂いてます。今回は、こんなご意見を頂きました。
友人「西洋は、言語で伝えるということが、完成した文化だから、メソッドみたいなのがあるんだよ、でも日本は、言語で伝えると言うことが、出来なかったので、しょうがないから、口伝とかにしたんでしょう?だから、近藤君のやっていることも、ちゃんと西洋的に解釈すれば、言語で伝えられるんだよ。」
つまり、それは西洋的に解釈が可能だって事なのかな?論理的に西洋から見れば、日本の文化がわかるよって、ことなのかな?
僕「でも、言葉にしないほうが、伝えられるし、無いものを扱った方が、実際、相手に伝わっているでしょう?」
友人「それは、伝わっているように見えるけど、近藤君が、あらかじめ暗示をかけているからだよ。その暗示は言語によるものでしょう?だから、それは、卵が先か鶏が先かって話じゃないの?」
ちょっと、根本的な話だし、良い答えが見つからないし、今、議論するところじゃないなと思ったので、ここで会話を止めました。

僕のやっていることが、暗示つまり、やらせに見える?と言う事もあるようです。それは、あるかもしれない。みなさんも、ユーチューブとかで、例えば合気道の達人に、投げ飛ばされている弟子を見て、たしかにすごいけど、自分から飛んでるでしょう?やらせでしょう?と、いう風にみえますよね。達人ですら、そうなんだから、しょうがないですね。笑。(注意:日本の所作は、同調することを主眼にしているので、自ら投げられたと見えるのは、正しいのですけどね。だから、投げられた方は、気持ちが良いんですよね)でも、僕は、師匠でもなんでもないので、忖度して、やらせをする必要はないでしょう?笑。ただ。確かに、このやらせ問題は、技術を磨く者にとって、永遠のテーマでもあるんです。自分の技術に、自分がやらせをしてしまう。そうすると、なぜか出来た気になる。そして、進歩がなくなるし、独りよがりになってしまう。これが、一番やばいので、つねに自問自答することが必要なんです。この自分に対するやらせを暴くことこそが、技と言っても過言ではないかもです。

ただ、私たちは、自分たちの実生活にいかに、所作を活かすかを追求しているわけで、そこで、自分に偽っても、得にならないのは、自明なのであります。だから、好きでやらせをやっているということは、無いと思います。たまにですが、負けたくないのか、暗示にかかりたくないと、強烈に否定から入る人もいらっしゃいますが、それだと、ここに何しに来たのか、意味が分からない。道場やぶりか?笑。ですから、ある程度、初歩なので、暗示でも良いじゃん。その後に、技にするために、それが暗示だったのか、違うのか、ゆっくり自問自答してください。簡単じゃないですよ。そのラインは、本当に結構すれすれのせめぎ合いのなかでの稽古なのであります。

でも、こうして普通の人が、見て、どう思うのかというのは、とても貴重な意見ですので、大変助かります。武士のならひを進めて行く上で、99%の人は、西洋理論で思考しているわけですから、どうするのか?本当に勉強になります。ありがとうございました。

次回は、9月10日月曜日です

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

その他

  1. 昔、フランスの大女優のイザベルユペールさんが、役作りについての質問をされたとき、「役は、どう演じるか…
  2. 前回は、身体を、筋肉や骨や内蔵などと捉えずに、気、息、水、脈、力、として捉えてみたらどうなるのかな?…
  3. 覚書 まず、これから、おこなうワークショップが、 何の役にも立たないということを知っていて欲…
  4. 2019/11/28

    所作塾 No 18
    体幹を鍛えるというのが、流行りましたが、いいところをついているのですが、なぜかそれでも身体感覚という…
  5. 2019/10/29

    所作塾 No17
    集中体験をすることが、人生を豊かにしていくことの本質なのかもしれませんよね。 今回は、集中の取…
  6. 2019/9/27

    所作塾 No16
    世間では、「目標を明確に持ちなさい!」と、常識的に上の人から、下の人へ、忠告されるわけですが、そして…
  7. 2019/7/30

    所作塾 No15
    所作は、基本的には、骨の動きになるわけですが、要するに骨「こつ」をつかむわけですね。ただ、骨は筋肉が…

新しい投稿

命題

Je sens, donc je suis.
我感じる、故に我有り

デカルトの我思う故に我有りの命題を日本風になおしました。日本文化の原点です。

ブログカテゴリー

補足メモ

  1. 2019-3-8

    精神は、身体に触れられない

    こう切り出したら、ある人から、いえ、私は、身体にいつでも触ることができますよ、むしろ精神には触れない…
  2. 2019-1-4

    錐体系と錐体外路系の運動

    私たちは、何か行動を起こすとき、意識している行為と無意識の行為があります。つまり、自覚的行為と無自覚…
  3. 2018-2-20

    量子力学的な身体観

    現代では、精神が身体よりも上位に位置し、身体を生きていくための道具と捉えているからでしょうか?身体を…
  4. 2018-2-16

    識別感覚と同調感覚について

    前回の「理解という概念の固定化」の続きのブログです。この問題は、何度か伝ふプロジェクトでも書いていま…
  5. 2018-1-8

    理解という概念の固定化

    最近では、理解しないと動けないという人が、増えています。ワークショップをするにしても、最初に座学を入…
ページ上部へ戻る