所作と介護の関係性

先日、ライフビジョンネットワークさん主催のワークショップに参加させていただきました。そこで、所作の基礎的なことをやってみました。皆様が少しでも日常で使えることがありましたら、嬉しいです。

人が人と接触するのは、かなり注意が必要な行為になります。

お芝居でもそうですが、何度も稽古していても、本番では、相手に触った瞬間に集中が、切れたりするものです。つまり、自分の集中領域に、他者が踏み込んできた!と、判断されれば、その接触という現象に、空軍機のスクランブル発進のように、その接触に注意が向かってしまうわけです。ですから、それまでの自分の集中は、いったん壊れてしまい、不愉快になるわけです。こうしたことは、ほぼ無意識の世界で行われてしまいます。

よく、感謝の気持ちが大切であるとか、相手を愛すれば良いとか、そういう言葉を聞きますが、それらは、全て意識レベルのお話ですので、無意識の領域には、あまり効果が期待できません。それに、感謝とか、愛とか、それらは、相手が受け取ってくれたときに、はじめて成立するもので、相手が受け取らなければ、例えば、恋愛なら分かりやすいのですが、愛は、一方的な場合は、セクハラとか、ストーカーと言われるのが、関の山です。

感謝も、下手をすれば、ただのうざい人にも、なりかねません。もちろん、そういった気持ちは、とても大切であることは、間違いありませんが、技術として考えたときには、扱いにくいですよ、という事が、いいたいわけです。

所作は、当然ながら、意識して行われる行為でありますが、それが、お互いの無意識のレベルにアプローチできるように工夫をしているわけです。

え?そんな、相手を洗脳するような事をしているんですか?とか、思わないでくださいね。そうやって、現代の科学思考が好きな人たちは、明確でないことや、意識できないことは、すぐにいかがわしいとかいう、レッテルを貼ることが好きですからね。

ですから、この際はっきりと、明確に言っておきますと、意識して、無意識へのアプローチをする、その技術というのは、あらっぽく、ざくっと言ってしまえば、とりあえず、単に腰を使って動けば、良いだけです。とってもシンプルでしょ?

シンプルすぎてわからないでしょ?笑。

腰痛が~とか言っている人には、決して分かりません、だって、それは腰が使えていないから腰痛になるわけですからね。(これは、かなり喧嘩売ってしまった?)もとい、腰がちゃんと使えていなかった可能性を内包してるのかもしれません、ぐらいにしておきます。ごめんなさい。

じゃあ、どうして腰を使うと、無意識にアプローチできるのですか?って、ことですよね。そう、思うよね、普通。

それは、つまり腰を使うってどういうことなんだろうって、自問自答していくなかで、そうかなって?思うわけですよ。これは、文字で書き起こすには、リスクがありすぎますね。それこそ、いかがわしいというレッテルを貼られて、お終いですから。笑

分かりやすく言えば、相手に触った瞬間に、その接触点に注意が集まるよりも早く、腰に集中が集まれば、相手を侵略者だと判断することが、少なくなるという訳です。そんなことが、可能なのか?笑。もう、これはワークショップ受けた人なら、経験的に理解してもらえると思いますので、説明できません。こちらが、腰を使って接すると、不思議と相手の腰に伝わるようなのです。

そして、この時に何が起こるかといえば、同調みたいなことが起きるわけですね。そうすると、不思議なことに、仕手と受け手の区別がなくなってくるんです。つまり、介護する側と、される側が、分からなくなる可能性があるということです。誰かを起こそうと、手を差し伸べる、そして、ちょっと引いてみる。すると引っ張られた人は、自分の意志で、起き上がったと思うのです。こうしたとき、お互いのストレスは、限りなく無くなっていくわけですね。

合気道の動画とかみて、あれは、投げられている方が、わざと投げられてるんじゃないのか?って、見て思う人いますよね?そうですよ、要は投げられているんですよ。だから、気持ち良いんですよ。あれ、一人で、やったら怪我しますからね。無理ですよ。それに、痛いだけだし、面白くもなんともないでしょうね。それでね、もしこれが、わざと投げられたひとが介護される人だとしたらですね、どういうことになりますかね?つまりこれが、同調原理という訳です。

楽しいし、夢があるから、いかがわしいとか、うさんくさいとか言わないで、一緒に研究してくださいね。

 

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