所作塾 No15
所作は、基本的には、骨の動きになるわけですが、要するに骨「こつ」をつかむわけですね。ただ、骨は筋肉が動かしているというのが、社会通念であるわけですから、骨が単独で動くわけ無いと考えているわけです。ここが難しいところですね。そのくせ、筋肉と骨が癒着しているのは、良くないってことは、何故か常識的に知っているんですよね。なんか、矛盾しているような気もしますが、それは、単に僕の勉強不足なんですかね?笑
私たちは、社会通念として、筋肉で骨を動かすと思っていますので、骨だけにアプローチするには、やはり技術というか、それなりの方法が必要になります。そんなに難しいことではありませんが、そうして骨が動いた様な感覚が得られた時は、かなり新鮮ですし、かなり面白いです。それが、科学的見地から、本当に骨だけが、動いたのか動いていないのかは、実際の所は、知りませんが、その得られる感覚と効果は絶大なわけです。なので、科学的根拠とか、必要ないというか、どうでも良いというか、そもそも科学的根拠って誰の為に必要なの?って気になるほど、得られた経験は、貴重なのです。
ただ、残念なのは、若者たちは、まず認められたいという願望が、マックスなので、この社会通念と戦うのは、なかなか難しいという事です。誰もが、社会の常識に従うことで、自分の地位を確保できると考えるわけです。それは、相当部分で、正解だと思います。その一方では、アイデンティティとか主張しますが、結局のところ、認められなければ、あっという間に潰されてしまうほど、弱いんですよね。だって今は、イデオロギーなんかよりも、経済が優先だし、人の命よりもお金の方が大事な時代になってしまっていますから、お金にならないことに向かうのは、相当勇気がいることだと思います。
学校では、当然のように筋トレやストレッチをするわけですし、それで、なにか能力が足りないとなれば、さらにジムに行ったり、ランニングしたり、目指すところが、AV女優やAV男優のような体型だけが経済価値があると信じて、身体づくりするわけなんですよね。全てが、お金になるかならないかが、価値基準なわけです。仕舞いには、プロとはお金を稼ぐことです。と言い切られたら、もう反論できませんよね。
そして、それらの努力はすべて、感性を殺していくことなんだということについて、まったく無関心なんですよね。
だからみんなは、いったい何がしたいのだろうって、漠然と思ってしまうのですが、いや、それ以上に大きなうねりの中に、飲み込まれてしまっているんですよね。
所作は、感性を磨くためにあるわけだし、豊かな人生を送るための、本当に基礎だと思うのですが、こうして若者たちを前に、稽古しながらも、その事に、全然気づいてもらえないわけですし、難しいなって、ほんと敗北感だらけな毎日です、笑
つまるところ、役者をめざしたりしている人が、感性を動かすことに、無関心で、身体が動くこと、つまりダンスができること、歌が歌えること、良い声が出せること、早く動けること、台本をなぞる能力があることのほうが、優先されていく現状を、どこか変えることができないのかなって、思っているわけなんですけどね。
次回の所作塾は、9月24日火曜日19時からです