基礎のあり方

みなさんは、「基礎を稽古しなおしなさない」と言われたら、どう思いますか?

・面倒だ
・今さら無理
・やはり基礎が大事だから、しょうがない
・そんなことしてたら、遅れてしまう。
・今ある技術が、水の泡になるんじゃないのか?不安だ。
・時間がない
・基礎をもっと、進歩させるなんて素晴らしいチャンスだ!

正直にどう思われますかね?
若者は特に、成長することに貪欲な時で、時間がいっぱいあるのにもかかわらず、焦っている時期だから、基礎って、ことに対して、時間を割くことに抵抗を感じるのかもしれない。そういう抵抗感って、たぶん基礎という言葉のイメージが、間違っているのかもしれないと、思い。若者に、解説してみることにした。

間違いその1
基礎を自分じゃないところに作るパターン。これは、たぶん語学教育が良くないと思うのですが、例えば、英語を学ぶに当たって、英語を話す自分というものを、自分の普段の立ち位置ではないところに、基礎を築いてしまう。つまり、英語を話す自分は、普段の自分ではなく。別人格とまでいかないにしても、モードの違うところにシフトしてしまう。だから、英語を話すときにギアチェンジが必要になるわけです。こう考えると、英語がななり出来るようにならないと、ギアチェンジするのに勇気が必要になるし、とっても疲れるわけです。そして、ギアチェンジしないとその基礎はどんどん風化してしまうわけですね。(耳が痛い!)

これを演劇においても、使っているパターンがあるわけです。芝居する自分は、普段の自分とは、違うモードの自分になる、つまり、自分の人生の上には基礎がない。だから、芝居をする前に、身体を温めたり、ストレッチしたり、何かしないとモードを切り替えられない。実生活に悩みがあると、ギアチェンジもままならない。だから、英語と同じで、いつも現場に出てないと、演技力がなまってしまう様な不安がつきまとう。
もちろん、これが正しいという意見もありますので、というか体制としてはこちらが、多いのかな?僕の考えのが間違っています。はい。中には、一人前になるまで、人前で芝居するべきじゃ無いとまで、言ってしまう演出家さんもいますね。(怖いですね~。僕だったら縮みあがってしまう。でもこの演出家さん、同じ事をアイドルの向かって言えるのかな?)それにさ、じゃあ、いつデビューするの??ってことじゃない?笑。こうなると、砂上の楼閣じゃないですけど、基礎をいじるのは勇気がいるかもしれませんね。だからか、わかりませんが、所作塾にも、ある程度お芝居している人やプロの人は、決していらっしゃることはありません。笑。(いえ、本当は僕に信頼がないからだけです。ごめんなさい。)

間違いその2
基礎を建築物の基礎と勘違いしているパターン。しっかりした土台(基礎)上に、応用があると考えてしまうパターンですね。これは、近代が、科学的思考をするあまり基礎という言葉から、連想されるのが、建築物になってしまうということです。しかも、この基礎は、固ければ固いほど上に高く、伸びることができるわけです。ですから、いったん作った基礎は、びた一文動かしたくないわけです。そうしないと、応用が利かなくなるわけですね。笑

だから、こういうイメージを書いてあげるわけですよ。建築物として、考えている基礎は、全体が移動困難になります。その街が、賑わっているうちはよいですが、過疎化したら、大変だよ。笑。
ですから、基礎は、球体のちょっとした接点のところにあるわけですよって、説明するわけです。この基礎が動きながら、らせんを描いたりして、全体を織りなしていくわけです。この基礎を変えれば、どんどん虹色のらせんが、伸びて、全体が輝き始めますよってね。こう考えると、基礎を伸ばしたくなりませんか?しかもこの全体性は、移動が楽なんですよ。もっとよいポジションへ、容易に移動が可能なのです。

もし、この基礎が自分の人生と完全にオーバラップしていくのなら、技術を磨くことと、豊かな人生を送ることが、一致していくわけです。(間違い1と間違い2が解消されたとき)こうしたイメージのもと、役者なら、演技は、それは成功するための手段ではなく、人生の目的そのものですよ、と言って良い訳なんですよってね。ダメですかね?こういう考え方。

 

 

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