福の市ありがとうございました。
2019年5月20日月曜~23日木曜まで、SUMUZOスタジオ外苑前で、
リサイクル着物1,000円市、福の市セールをいたしました。
平日ということもあり、また、大雨に見舞われた日もありましたが、正直営業的には、惨敗でした。笑。途中、リサイクルきもの福服さんのご協力もあり、なんとか体裁は、取れましたが、厳しかったですね。お集まり頂きました、お客様と、お手伝い頂きましたスタッフの皆様に、心から感謝です。ありがとうございました。
ただ、こうして、みんなの顔を見ることができて、いろいろな思いや考えや、近況を、話したりすることは、とても良いことだなと思っています。ネット上で、チェックはしていましたが、はじめてお目にかかれましたという人もいれば、相談事があって、わざわざ、来てくれるひともいます。それらは、とても嬉しいことですね。
着物は、「もの」です。「もの」を売ることは、普通ですが、着物を残していこうと考えますと、ただ着物を売って、普及することだけでは、だめで、やはり、「こと」が必要になります。「もの」は、「こと」という裏付けがあって、はじめて生きてきます。着物の素晴らしさを「もの」に限定して考えてしまいますと、染めがすごいとか、織りがすごいとか、生地が素晴らしいとか、絵が綺麗だとか、文様が素晴らしいとか、そういうことになりますが、そいういう「もの」だけを考えて残そうとするなら、着物は簡単に滅びると思います。なぜなら、それらの素晴らしさを支えているのは、着物を着て、集まって、「こと」をおこすことなのだからです。
どんなに素晴らしい仏像でも、博物館のガラスケースの向こう側に置かれて、安置されている様子を見学したとしても、それらはただ、死んでいるだけの参考物件で、生きていないのです。どういうことかと言えば、つまりは信仰という「こと」から、隔離されてしまったからですね。簡単なことです。それを、国宝で大切なものだから、安全に残したのだというならば、「もの」という実態は、ただの幻想にすぎないのかもしれない。
「こと」をおこし、「こと」から「こと」へ、つないでいく過程で、「もの」が、うまれる。もちろん、この「こと」と「もの」の間には、なんのエビダンスも存在しません。だから、馬鹿にされて、経済的にも無視されますが、着物が、博物館のガラスケースにしか展示されなくなる前に、もう少し、なんらかの抵抗をしていこうかと考えています。
率直に言えば、僕たちに「もの」を作る技術も技もないのですから、せめて「こと」ぐらい起こしていきたいですね、というのが本音です。笑
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