自由と型

型は、自由を確保するために取るわけですが、そう言うと、「え?」と思われるかもしれませんね。
それは、「自由」という言葉の解釈が違うからだと思います。みなさんは、たぶん、自分のやりたいことをすることが「自由」だと考えていると思います。自分のやりたいことをして、食べたいものを食べて、遊びたいときに遊ぶ、そういうことが出来ないときに不自由だと感じて、「自由」を求めるわけです。
しかし、冷静に考えてみれば、それらは、なんらかの欲求に従っているだけで、かなり強い意志が、示されているわけです。つまり、精神的欲求は、満たされて「自由」だと感じていたとしても、実際は、方向性だけが示されていて、とても「自由」に動ける状態ではないのです。ですから、武道では、「居つき」を嫌いますが、そういった意味で、行動の「自由」を確保しようとしているわけです。一つの意志を持てば、その意志に伴う膨大な想定外を生みだすますから、既知のことには対処できても未知の事には、なすすべを失うわけです。咄嗟の出来事に、情報収集しなければ、動けません!なんて、馬鹿げたことになるわけです。
ですから、日本文化において行動(所作)は、意志をなくした状態を基本としているわけです。とはいっても、意志がなければ、やはりどうしても動けませんから、この意志を使って、型をとるわけです。この型は、「自由」を確保するための所作というわけです。そして、この型を取ったときの感想は、といいますと、どのようにでも自由に動ける状態を感じるかと言えば、まったく逆で、拘束感満載で、どの方向にも動ける気がしません。これが自由の正体なのです。つまり、どこにも動けないので意志が使えないわけです。だから自由なのです。笑。みなさんの想像通り、型とは動けなくなる状態なのです。
じゃあ、どうしたら良いの?というわけですが、結局の所、型通りにしか動けませんよということなのですが、それにしても、その場合は、何を原動力にして良いのか、わからないと思います。ここが、現代の人には、なかなか理解して貰えないところですが、つまりは、「自然」の流れに乗るということです。この流れが、分かれば、絶対動けないと思っていた身体が、するすると動き出すとことが出来るようになるのです。書いてしまえば簡単ですが、現代では、この自然に乗るという感性を使うことを決して、教育の現場で使うことは、ありませんし、価値を見いだすことすら、絶対的に否定していると思います。そんなわけで、いつの間にか大変苦手になってしまったわけですね。即興的に生きることは、選択肢がたくさんあることではなくて、究極、選択出来ないことが、即興性の源になるという。一見、パラドックスのようなお話になるわけです。
どうして、「自然」の流れに乗ることが、意志で動く「自由」より圧倒的に優れているのかは、いくら説明しようとしても、科学的根拠はありませんので(科学は精神側の代弁者ですから)、稽古で実感するしか方法はないと思います。ただ言えることは、意志を使えば、せいぜい人生50年の経験と知識ですが、身体の自然に任せれば、一万年以上の知恵(暗黙知)をお借りすることができる可能性がある、という事ぐらいは、なんとなく理解できますでしょうか?
現代では、「自」を自我の自としか解釈しないのですが、「自由」の自は、「自然」の自であって自我の自ではないわけです。ですから、自己とうのも現代では、自我に己ですから、自分が自分がですが、本来は、自然と己という自他問題のお話なんでよね。人の生き死には、自分の事ですが、死生問題とすれば、自然のことです。電車の乗り降りは、自分の事ですが、電車の降り乗りは、環境の話です。そして、こうした自他問題を大切に意識すれば、「精神」と「身体」という関係性も見てくるわけで、それは、まさに「自我」と「自然」の関係性のことで、この事を踏まえないと、日本文化は、永久に理解不能だし、技は磨けないし、第一楽しくないというか、単調な人生観しか生まれずに、勝ち負けだけがそこに残って、勝手にストレスになって、そのストレスを解消するために、欲求を発散して、でもその欲求の発生源は、そもそも精神だから、さらにストレスをためるわけです。
私たちは、人生を豊かにするために、「自然」の流れを感覚する習慣を復活させる必要が、あると思いますし、それにはあまり時間が残されていないわけです。とにかく今は、日進月歩で、自然が人工と入れ替わって、科学的根拠において、それらは、まったく同じ物ですと証明され続けているわけですからね。同時に日進月歩で、文化を消滅させ科学にとって代わることが、進歩だと考えて、便利になったと喜んでいるのが現状なわけです。かのアインシュタインさんだって、いづれ、とっても痛い目に遭うよと、警告しているのですけどね、そういうネガティブが発言は、無かったことにしておくのが、今風の社会ですね。笑。どうなることやら。