うつろう主語たち
日本語の主語は、たびたび省略されるので、意味が分からないと、言われますよね。日本人の曖昧さが、そこにあるみたいな、だからダメなんだ、とまで言う人もいるくらいです。論理的思考法が作れない言語ってわけです。そんなわけで以前に、主語の喪失とかブログに書きました。(下にリンク貼りました。)
あれから、時間がたって、僕の考え方も少し変わったきましたので、また改めて書きます。
そもそも、人々が明確に自我を持ち、自己の意志を使い始めたのは、かなり後になってからのようです。論語の頃には、心という字が無かったり、西洋でも、意志はつまり、最初のころは神の意志だったわけです。つまり、意志をもつ主語は神だったわけです?フランス語で、私は、はJe suis (英語のI am)ですが、iを取れば、Jesus ジーザスですし、英語だって答えは、Yes ですから、あながち否定もできないわけでしょう?また、ギリシャの大哲学者アリストテレスの哲学には、意志の概念が欠けているそうです。古代インド=ヨーロッパ語で表現される思考には、行為者が自らの行為の源泉であるという考えがないという。(緑色の字は↓の本から抜粋です。)
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じゃあ、日本はどうだったんだと言いますと、やはり八百万の神ですから、そこら中に神はいるし、そしてうつろうわけです。ですから、主格は定まらないわけですね、きっと。
涼しさや 鐘を離るる 鐘の音 蕪村
こんな歌を詠んだ時、主格はどこにあるのだろうと考えるわけです。普通は、詠み手が主格ですね。じゃあ、鐘の音は?見たの?聞いたの?感じたの?となったとき、涼しいのだから、感じたわけですが、だとしたらこの時、主格は鐘に移ったわけです。変ですか?笑。こんな話を、文学部卒の人に話したら、笑いながら、解釈は、人それぞれ勝手にして構いませんからと、鼻であしらわれました。爆。ということは、世間的には、主格は詠み手から移動せずに、空想して、客観的判断をくだしたということが正解なのですかね?この句は、たぶん、芭蕉のこの句をまねたのだと思いますが、
閑かさや 岩に染み入る 蝉の声 芭蕉
これですね。この句だと、蕪村の場合と意味合いが変わりますね。蝉はたくさんいたのか?って議論もあるようですが、、。岩に蝉の声が染み入るのを客観的に見るなら、集音器?で、閑かになった?主格が岩になったとするなら、蝉の声も身体の中に染み入ってみれば、閑かだと感じたと詠ったのか?ここは、もう感性を働かせて、どう感じることが、感動的か各々で判断して解釈するしか無い世界ですね。
僕が、思うに日本語においては、主格が自由に動き回ることができる自由さを持っているのではないでしょうか?吸い込まれるような青い空ですね、と言えば、一見空を見て客観的に表現しているようで、実は、主格は空に移って、吸い込んでいる感覚を同時に共有しているわけです。ですから、外国語に翻訳することが出来ないわけです。
強引にまとめますね。与太話がしたくて、こんなことを書いたのではないんですよ。笑。
ここまで、書いて分かるのは、主格とは意志の置き場所でもあるとも言えるわけです。西洋の歴史をみれば、わかりやすいのですが、意志がないときには、主格が神であり、中世以降自我に目覚めた人々が、主格を我に固定したように、意志の出所が、主格であるわけです。そして、それが西洋の集中観につながっていくのだと思われます。concentration=センターに集まる。
そして、日本はどうしたのかというと、主格、つまり意志の置き場所を自由に動かすことができることを知り、そして、その過程の中で、見るものと感じるものの分離が可能であることに気がついた(見ている岩と感じている閑かさ)。このことが、なかなか理解が難しい日本文化の要になるところかもしれません。ちょっと、飛ばしすぎですね、という仮説がたてられるという表現に、変えておきます。ごめんなさい。
日本文化の基礎は、ここにあるかもよっていうヒントですから、興味ない人には、ただの与太話です。笑
我々日本文化の集中観は、空間を自由に飛び回ることができます、日本は場の文化だと言った人もいますが、つまりそういう事です。あとは、どこに主格を移動すれば、どのような効果があるのか?どのように感じることができるのか?、鍛錬すれば、良いわけです。涼しさや、閑かさや、だったり、実際の所意味のよく分からない、侘びや、寂や、などなど、無限の可能性があるんじゃないのかって、思われるほど、主格の置き場所はいっぱいあるわけですね。笑。結局、って与太話でしたか?、。。。失礼しました。
このことは、たぶん文学をやってる人より、武道やスポーツをやっている人のが、わかりやすいのかもしれませんね。もちろん、これ演技のヒントにバリバリなります。笑。とかいう僕も、もっと頑張って修行しないと、このことを全然、実践に活かせてないのが現状ですけど、、。ファイト!
日本で主格とは、意志の置き場所のこと?
関連ブログ:主語の喪失(伝ふプロジェクト)
・相手のみに成って考える(伝ふプロジェクト)