所作の教養課程
日本文化に関する習い事は、いろいろあります。日本舞踊や茶道、華道、香道、書道、武道、柔道、剣道、三味線や新内、長唄、能や狂言などなどなそ、本当にたくさんありますが、これらは、いわば専門分野になるわけです。もちろん、入門があり初歩から教えてくださいますが、あくまでも専門の中の初歩になります。では、もっと以前の、根本的な日本の動きに関することを、つまり所作の教養課程は、どこで習うのですか?もちろん、学校教育では、まったく教えていませんし、そもそもそういう科目すらないわけです。物心ついた頃から、ある特殊な家庭を除いては、ほぼ西洋風の生活様式であり、学校でも西洋の事ばかりを丁寧に教えていただき、日本文化、特に日本の所作に触れる機会が皆無だった思うわけです。そして、いきなり日本舞踊とかに入門した時に、見て学びなさいと言われても、素養があまりにもないことが容易に想像できるわけです。日本の所作は、西洋のそれとは、真逆のに動くことが多くあるわけですから、それはもうちんぷんかんぷんなはずなのですが、それでもどの習い事においても、その事には、まったく触れずに、何事も無かったかのように粛々と先に進んでいくわけです。
このことは、ものすごい落とし穴だと思うのです。基礎の進歩が、技術の進歩に直接つながるわけですから・・。いやちょっと、まって下さい。まずその前に、この「基礎」という概念も少し怪しいですけどね。どうしても、客観主義の影響で、基礎という言葉を建築物にすりあわせて、建物の土台のようなイメージを持っているのではないでしょうか?そして、基礎がしっかりしていることをなぜか、固く強固なものみたいに思っていませんか?だから、基礎を作ったら、変えられないのでは?みたいな妄想をいだいてしまう。もしろ、基礎とは柔軟性を持ち、いつでも進化してそれにあわせて、技術もカメレオンのように一瞬にして進化していくことでないといけない。そうすれば、基礎からちゃんとやり直しましょうと言ったときに、え~~!という事にはならないでしょう?そして、基礎が変わったのに、技術が変わらない、いやむしろ崩れてしまうのなら、それは、最初から関係性が間違っていたと思わないといけないのかもしれません。
話がそれました、すみません。
よく、僕のような肩書きの無い人間が日本文化について、いろいろとやっていますと、素養として居合を習いなさいとか、お茶をやりなさいとか、親切にお勧めいただくことも多いのですが、そういったそれぞれの流派には、ある価値判断を越えた決まり事があり、それを守らないといけない。それは、とても素晴らしいことだと思うのですが、僕が、今の立場で、簡単には専門に進めないでいるのは、(もちろん、年齢的にも金銭的にも時間的にもかなり無理がありますが、汗)、圧倒的な素養不足と、そのことをどの習い事も、気にせずに放置している現状が、あまりにも難しいだろうと考えてしまうわけです。そもそも、文化とは習い事ではないわけで、すでにそこに当たり前のようにあるものでなければいけないものです。ですから、本来なら所作の教養課程はまったく必要ない事なのです。ところが、現代の日本人には、それがまったく備わっていないし、そのことに気づいてもいないわけです。そういう意味では、日本文化は、もう無くなったと言われても仕方がないのですが、その話は別として、そもそも、その簡単な日常の所作ですら、現状では歴史というよりは、もしろ考古学に近く、遺跡から断片を拾い集めて、考察するしかない状態にあるわけです。所作が、たった150年で遺跡になってしまったのは、いろいろと理由があると思いますが、あまりにも当たり前すぎて、だれも記録していなかったとか、要点は口伝だったとか、明治政府が禁止させたとか、GHQが焚書したとか、いろいろですが、日本国民が、みんな喜んで西洋の真似事が好きだったし、楽しかったというのが、まあ本当の理由でしょうね。
じゃあ、日本文化なんて観光資源としてあれば、普段の生活の中にはいらないじゃないか!という意見もあるでしょう。まあ、そうだなとも思うのですが、逆に冷静に社会状況をみると、うつ病とか引きこもりとかストレスをためて精神的に参っている人が多いわけだし、ガンも多いし、寝たきりも多いし、ほんとうにこのままで、大丈夫なのかニッポン?と思ったとき、やはり文化の後ろ盾を失っているのが、大きいんじゃないのかなと思ったりするわけです。ストレスフリーだった、日本文化、そして、老境という引退をしない芸事の身体の使い方など、せっかく日本に生まれたのだから、知ってても良いんじゃ無いのかなと思うわけです。
ですから、武士のならいでは、所作の教養課程として、ほんとうに簡単な所作を、かたちとしてやるのではなく、感性を動かしてやってみることに挑戦していきたいと考えています。この動くことによって、感性が動くようになれば、どんどん専門分野に活かされていくのだと思います。そして、みなさんは感謝の気持ちを込めましょうと、よく言うけれど、気持ちは込めるものではなく、湧いてくるものです。それには、所作が、感性とつながっている必要が、あるわけです。この一点に於いても、日本文化らしさを味わえるわけです。こうした生活習慣は、日本文化に限らず、ビジネスにおいても、日本人が日本人らしくあるための素養として、とても重要な、文化財だと思うのです。