役作りを科学しない3

人は漠たる一点のために人生を生きている。という言葉がありますが、そうだとしたらその一点が、まさに役作りのポイントになるわけですね。
もちろん、それは、言葉で簡単に語られるような事ではないかもしれませんし、いったい何?みたいなものもなのかもしれません。ちなみに、前回のイザベル・ユペールさんの役作りに炎をイメージしたというもの、インタビュー用に、わかりやすくするために、使った言葉だとおもいますが、かなり近い表現なのかもしれません。
それでも、役作りなので、なにか文字おこししたいとみなさんは、思うでしょう。ですから、どうですか?その役の人物の辞世の句を考えてみる。
こうすると、かなり文学的な役作りになりそうです。辞世の句だと、どうしても死を意識して、ちょっと変ですけどね
でもね、こう言ったとたんに、みなさんは、面倒だと思うのだと思います。どうしてだと思いますか?それは、芝居を科学しているからです。科学分析によって芝居を理解しようと思っているからです。その思考中に、急に文学的なことを言われると、面食らうわけなんです。でもね、科学していたのでは、面白い作品はできませんですよ、とは思いませんか?
手に結ぶ水にやどれる月影の あるかなきかの世にこそありけれ 紀貫之
おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものは心なりけり 高杉晋作
こうすると、人生のテーマみたいなものが、少し見えてくるかも知れません。生きるというエネルギー、つまり生命力の源泉は、なんなのだろう?なにかの熱、なにかの光景、なにかの感覚、なにかの共感、なにかの喪失、、、、
役作りは、前歯を全部折ってくることでもなく、絶食して痩せてくることでもなく、本当にホームレスになってみたりでもなく、それらは、どちらかといえば、見てくれであり、しかも自分自身の役者としての表明でしかないのでは?ああ、こんなこと書いたら、怒られるか、こうした美談がいっぱいありますからね。
そうした、痛い努力は、僕にはできないな、ちょっと違和感をかんじるし、やはり科学的だと思うのです。でも、みなさんは褒めれもられるから、どんどんやってください。
でも、ここ身体演技では、考えて何かを作り出すのではなく、身体にまかせてでてくる自然さを追究していきたいと思っているのです。そのために明確な指針をあえて出さないで、あとは身体に応えを求めていきたいと考えているわけです。前歯を折って臨む役者の根性でもなく、泣く泣く前歯がない人の人生でもなく、前歯があっても、なくてもそれとは関係なく、何かを求めている喪失感のある人生を表現に持ち込みたいわけですね。
ほんとに好きな人が出来てしまって、いつも考えていて、じゃあ、彼女の良いところはなんだろうか?と書き出してみる。確かに、気持ちいい。でも、この書き出された条件が合えば、誰でも好きになるのか?と言われれば、たぶん違うと答えると思います。そして、今、書き出した条件が、すべてどうでもいいって、思えた瞬間が恋に落ちた瞬間なのでは、ないですか?あまり、経験がないので分かりませんが。爆