役作りを科学しない2
僕も養成所(自由劇場アクターズジム)の時には、役作りとして、付け帳を提出していました。小さな劇団なので、衣装や小道具も自分で調達しないといけないので、お芝居の全体的な雰囲気を保つためにも付け帳は、必要なんですね。そこに、役作りを箇条書きするわけです。それは、それで役に立ったような気がします。特に、劇団や養成所は、お芝居の稽古が3ヶ月ぐらいあるので、のんびりと役にアプローチできますので、そんな箇条書きの付け帳でも大丈夫なんです。
ところが、大人になってきますと、こうした取り組みにいろいろと矛盾を感じるようになります。例えば、知らない人物は、箇条書きできますが、いざ知っている人だと、とたんに箇条書きに違和感を感じてしまいます。女優さんでいうと僕の場合は、たぶん田中絹代さんは、箇条書きできますが、山田五十鈴先生は、一緒に麻雀したりして遊んだ、知り合いなので、箇条書きに出来ないんですよ。そんな枠に収まらないと感じると思います。つまり、箇条書きできる役作りって、結局のところステレオタイプというか、よく知らない人なんですよ。
まあ、それでも参考にする程度なら、何かの役にたつのかもしれないですけど、真剣にやってはだめですよね。リアリティを求める演劇の人たちは、だいたい知らない人のままで、役作りしたとか、言い切れるんですか?
こうした箇条書きは、野球で言うならば、バッターとして打つときに、バットの握りがどうだとか、グリップの位置がどうだとか、肘を閉めるとか、腰の回転とか、体重の移動とか、そういう注意することを箇条書きにしたところで、そんなこと考えて打つ人って、どちからといえば素人でしょう?笑、そのは、下手な人だし、最悪怪我しますよね。ていうか、少年野球の4割の子供が、肘や肩や腰の痛みに苦しんでいるですよ!それ、教え方が悪いというか、野球を役作りのように科学するからですよ!違いますか??僕も、子供の頃から、強肩だったのに、演劇で地方に行っているときに、文学座のひとに投げるフォームが悪いから、直せばもっと良い球を投げられるよと、そそのかされて、フォームを直したら肩壊しました。それ以後は、最弱な肩で、もう情けない人生です。
それで、それでですよ、野球の達人にバッティングを聞けば、何というかといえば、来た球を打つだけだ、とか、玉が止まって見えるとか、そんなものなんですよ。
剣の達人は、例えば一刀流の極意は単に「太刀を振りかぶり、ただ振り下ろすだけ」とある。なんですか?それ?笑
これで、前回のイザベル・ユペールさんの今回の役は、炎をイメージした。という一言が、どういうことなにか分かりますか?科学していないからの発言なんですよ。
ひるがえって、現代は、文化を捨てて科学を信仰する時代です。明確であること、簡単であること、可視化されること、言語化されることを目指します。その結果は、真面目な人は、神経衰弱になり、自殺したり、麻薬に逃げたり、ストレスをかかえこむ。精神を使って演技をする、誰よりも鍛えているはずのプロの俳優が、どうして、精神を病むんですか???どうして、自殺してしまうんですか?それは、野球のプロの選手が、肘や肩を故障するのと同じです。ちょっと、冷静に考えると変だと、思いませんか?パラドックスでしょ??。
すみません、つい長くなってしまったので、この話は次の回でまとめます。