感性を豊かにするWS「見られている」
昔、フランスの大女優のイザベルユペールさんが、役作りについての質問をされたとき、「役は、どう演じるかということも大事だが、どう見られているかということの方が、もっと重要だ」と、言っていました。
たとえば、医者を演じるとして、自分が医者をどういう風に演技で作るかよりも、周りの人が、自分をどういう医者として見ているかのが大事だというわけです。これは、素晴らしいヒントです。
私たちは、医者というものを演じるとき、医者という全体性にアプローチをかけようとしてしまう。たぶん、すべての演技教室では、そう教えると思います。ところが、全体性を演じることは、普通に考えれば、不可能です。演技をするということは、常に局所だからです。身体の局所をどう動かすことが、医者になるのか?そこが、問題なのです。しかし、一方で、どんなに局所を作り上げても、医者のとしての全体像を作ることはできません。それは、全く別のものだからです。
では、どうするのか?イザベルユペールさんが、答えています。他人の目を使うわけです。しかし、どうやっても他人の目は、他人にしか動かせませんので、自分が、他人の目を作り上げるわけです。つまり、自分の目を他人が見ているだろう所にまで、動かせば、良いのでは?というわけですね。そうですね。目というとちょっと、ホラーっぽくなるので、たとえば照明とか?にしたら、わかりやすいですね。撮影現場でも、舞台でも、たまには照明がついていますよね。まあ、誰でも一度くらいは照明を浴びたことがあると思いますが、その照明が、すべて自分を医者として照らし出しているとすれば?とまあ、そういうわけですが、決して、スピリチュアルにしないでね。笑。照明が自分の目であり、それを利用して自分の目を使って、他人の目を作るわけです。
これ以上はたぶん、意味不明ですよね?笑、ワークショップ受けたひとは、経験してもらいましたが、これ以上いうと、気狂いかと思われますので、ここまでにしてね。あとは、内緒というか、自分で考えてください。自分としては、すごく良いヒントだとおもうのだけど。
既成概念と戦うためには、まず見るということが、とても大事になります。その見るという行為が、識別なのか?どうなのか?そのことが、分別できなければ、始まりません。識別から入れば、感性を動かすことは、大変難しくなるわけですからね。
そんでもって、見る練習?
この茶碗をスケッチしてもらいました。
たぶん、普通の写生すれば、いつも描いている自分の絵だなって、感じると思います。それは、茶碗だと認識が先に立つからですよね。この認識を外すわけですが、あるテクニックを使ってみました。自分の目を移動してみる?
普通の演技指導ですと、最近のはやりですが、台詞を言うときに相手の目をみて話しなさいと言われると思います。でも、これ、実際にやってみると動けなくなりませんか?自分の行動にロックがかかったように、相手の目線を外せなくなる現象があると思います。こうなると、もうお互いに演技が出来なくなります。そのときに、この技術を使えば、簡単に回避できると思います。もちろん、自分はロックされたりしませんが!という方は、必要ありません。ごめんなさい。何分僕は、不器用なので、そうなってしまう経験があるのです。笑
そして、みんなでスケッチタイム~~~。
うまいとか、下手とか、この場合どうでも良いと思うのですが、かなり一人一人の個性が出たと思いませんか?笑。同じ茶碗をスケッチしたと思えないぐらい。普通にスケッチしたら、もっとみんな似たような絵になったと思います。
茶碗だとわかってもらおうという気持ちは、もう無いですよね?感じたとおり、見たとおりに、表現してみる。まずは、ここから始めてみたわけです。ありがとうございました。
日本の文化のその、アプローチ方法は、西洋のいわゆる誰でも上達できるという魔法のノウハウというのはありませんが、間違いなくオンリーワンを作るための、お作法であることは、確信をもって言えることですね。
そして、受講者の感想を勝手に載せる。
ああああぁ〜近藤さんのワークショップばちこんにおもろかったし勉強になりまくった。通わせていただくと決めた。あたしの感覚で、あたしがやりたいことや求めるものが見えてくる所な気がする。
今日何万回でも、おもしろいいいいい!!って叫べる。くらい面白かった。嗚呼おもろかった。一生の生き甲斐だ。大事に大事に身に刻んで、いつかご恩返しできるようにいま頑張る。
大袈裟な。本当にありがとうございました。嬉しいです。
次回は、7月21日火曜19時からです