所作塾 No 18
体幹を鍛えるというのが、流行りましたが、いいところをついているのですが、なぜかそれでも身体感覚というところには、たどり着きませんでした。
精神を使いますと結局のところ外部からの指令で、身体を動かすことになりますので、いささか大雑把な動きになりがちだと思うのです。普通はそんなことは、ないと考えていると思いますが、僕が、いままでに習ったりした分野すべてで、力に関しては、入れるか抜くかの二つしかありませんでした。つまり、ブレーキとアクセルだけで、身体をコントロールするというわけです。
もっとしっかり力を入れて動け! 違う、それじゃ動きが硬いから、もっと力を抜いて動け! じゃあ、どうするの?
って、経験は、ありませんか?今は、教育も進化していますから、そんなことはないのかな?
身体を生きていくための道具だと考えていますと、その先にありますのは、人体機械論ですね。医療をみていますと、そんな風に感じます。治療とは、名目上そうなのですが、やっていることは案外、修理?交換?除去?そんなところで、結局、治療といえるのは、自然治癒力だけだったりして。笑
まあ、それは良いとして、身体感覚を破棄してきたのは、まぎれもなく合理主義でして、感覚に頼るのは、あてにならないので、何かしらの数値にして可視化するべきであるとしてきたわけですね。
それで、気持ち良いですか? 身体もさぞかし、よろこんでいると、そう思いますか?
自分の名前を数値化されて、番号で呼ばれて嬉しいですか?性格や能力まで、数値化されて、表示されて嬉しいですか?容姿や運動機能を数値化されて嬉しいですか?健康のためって、誰のためにやっているんですか?自己満足のためですか?それでも、オンリーワンだとか、アイデンティティとか言ってしまうのですか?
ものを言わない身体に対して、ひょっとしたらひどいことしていませんか?
毛皮着てたら怒るくせに、遺伝子とかいじってもいいんだ?刺青とか、平気なんだ?臓器を売ったり買ったり商売していいんだ?
身体が、もう我慢ならん!とか言って、暴走を始めたら、人類は終わりますね。笑
という、稽古とはまったく関係ありませんが、爆
そして、そこまで馬鹿にされている身体感覚では、ありますが、精神からの時のアプローチではブレーキとアクセルだけだったコントロールが、実際に使えるかどうかは別として、ざくっと440通りの選択肢があって、観点を少し入れれば、3520通り、これに視点が使えれば、21120通りのコントロールがあるわけですね。こう見てみれば、ああなるほど、100均で売っている商品とちがって、技が必要な世界なんだなって思うし、動きをルーティン化して、反復練習するのが、やばいかもって思えるし、人生は即興なんだなあって思えませんか?
まあ、そんな感じ。
で、今回やってみたのは、そうした身体感覚の中には、相手の情報も入っていますよってことです。それが、わかれば、刺激反応という化学的反応でしか理解できなかった、情報収集が、同調とか、感応とかいう、みんながオカルトチックに考えてしまう方法でも可能であることが、とても技術的なお話として、納得がいくわけです。誰も、納得してくれませんが。笑
納得しないのは、当たり前ですが、これらは無自覚の世界で、展開されているわけです。ですから、無自覚の世界が、許せない人には、馬の耳に念仏になってしまうわけですね。
まあ、残念でもありますが、それはそれ、多様性の生き物ですから、お互いがんばりましょう。