所作塾No13
合理化と視覚化は、現代の社会の二大命題でありますが、もちろん、それは、文化的なものとは真逆に位置しているわけですね。どんなことでも、視覚化や数値化を図って、明確にしていきたいわけですが、その反面、それらの行為は、私たちから身体感覚と判断力を奪っていくものであることは、明らかなのです。それでも、安心で安全で安易な人生を好むわけですから、身体感覚なんて、まったく興味が無いわけですね。
ところが、自分では身体感覚なんて無くなってしまったわけですが、最近の人たちの、自分の考えに帯する肯定力たるや、すごいもので、絶対的に自分の考えが正しいと思っている人が多いわけです。昨今のSNSなどの炎上を見ますと、その正しさの根拠は、どこから?と思いたくなるほど、その立場や状況が違う人たちに向かっても自分の考えを押しつけてくるわけです。
しかも、身体感覚をあてにしていないわけですから、その正しさの根拠は、経験のなかから出てきたわけでもないようなのです。不思議なものですね。ひょっとしたら、経験も持たないので、その正しさの根拠が、決して揺るがないように、反対意見に対して攻撃的になるのかもしれませんね。そこが揺らいだら、自分のアイデンティティを失う勢いかもしれないという感じです。
いや、話が大変それましたが、それが話題ではなく。爆。視覚化する時に、ある罠があるので、気をつけましょうということです。
それは、思考の平面化です。皆さん本とか読んだら、分かると思いますが、分かりやすく図解されているものは、すべて、平面です。当たりまえです。笑。マインドマップなんて、書いたって結局のところ平面に書きますね。立体に書けたらいいのですけどね。現状の技術では、まだまだ難しいですね。それが、何が悪いと思うでしょうが、この習慣が良くないわけですね。
平面化によって、何が失われたのかな?容積、空間、距離感、流れる空気、厚み、???
まず、見るという行為が、知らず知らず、平面化されています。つまり絵に描きやすいように、空間を平面化して、それだけならまだしも、対象物の輪郭を捉えようとしてしまいます。
私たちは、刺激に対して反応しているわけではありません。見えるものを見ているのではなく、どちらかといえば、見たことの有るものを見ているわけです。つまり、感覚できることしか、識別できないのです。ペリーの黒船が来たときに、あの大きな蒸気船が、見ることが出来ない人が、いっぱいいたのはご存じでしょうか?つまり、私たちは、身体感覚を捨てているわけですから、私たちが見ているものは、・・・。
私たちの、合理化された知覚機能は、恐ろしく衰えている可能性があります。四十茶百鼠といわれた江戸の色彩も、数値化によって分かった気になっても、すでにそれによって、感性が動くことは無くなりました。つまり、平面的に描かれた餅になったわけです。
なってしまった現代を嘆いてもしょうがないので、できることから、こつこつとが伝ふプロジェクトですが、笑
とりあえず、身体感覚を立体的に捉えて、空間を持つようにする稽古ですね。つまり、薄っぺらな人間にならないように、人間に厚みを持たせる。それで、お金も地位も名誉もいらないから、せめて空間的に自分をとらえて、大きな人間になるわけです。この厚みが、けっこう大切で、すぐに切れる人が多いのは、この厚みが平面化されているからです。つまり、相手の裏がまったく見えない。つまり、感じる身体感覚を失ったのかもしれない。
せっかくのたった一回の人生なので、感性を殺して、金儲けして、年金の無い老後に備えるのも、大切ですけど、少しは感性を動かして、人間の可能性について感じてみることも、案外大切なことなんですよ。世の中の様子が違って見えてきますよ。という風に、書くと、なんか嫌らしい感じの説教みたいですが、要は、楽しいし、生命に対して、真摯に向き合うことができますよ。だめか!
次回の所作塾は、7月1日です。
興味がありましたら、遊びにいらしてください。よろしくお願いいたします。