錐体系と錐体外路系の運動

私たちは、何か行動を起こすとき、意識している行為と無意識の行為があります。つまり、自覚的行為と無自覚の行動の世界です。そして、その動きの九割は、無自覚の動きが占めているのです。一を聞いて十を知るという故事が、ありますが、まさに、みなさんは、一の自覚で、残りの九の無自覚の身体の動きを知った気になっているわけです。
そうはいっても私も、医学が専門では、ありませんので、ここから先は、ひょっとしたら、間違ったことを言っているのかもしれませんので、もし間違っていたら、ご指摘頂ければ、幸いです。
今回は、運動の種類として、錐体系と錐体外路系があるというお話です。リンク先にも書かれているように、錐体外路系は、複雑だからか?錐体系に従っていることにして、解決済みとして、もう研究はされていないようです。?つまり、その伝達経路が、解剖、生理学的には存在しないので、研究をやめたわけです。知能の低い動物には、重要な運動性伝達路であるが、人間は、錐体系がしっかり発達しているので、無視しても差し支えないというわけのようです。ほんとうに差し支えないのかが、実は問題なんですけどね。
それらは、随意運動ではなく、不随意運動なわけですが、よく条件反射とかと混同されたり、また意識していなくても動く、心臓や内臓などと勘違いされますが、たぶん違います。例えば、歩くと命令が、あったとする、それがどこに命令されのかは、知りませんが、歩こうと考える。しかし、意識して動かす箇所は、1割にも満たないで、あとは勝手に歩いていますよと言う話です。ボールを追いかけている子供は、ボールを見て、でも走っている意識はなく、転んで初めて、足の存在に気づくみたいなお話??
そして、こうした錐体外路系の運動は精神の支配から、上手く逃れている可能性があるわけです。内蔵は違うと書きましたのは、内臓は、精神の影響をバリバリに受けますよね。ストレスですぐ胃に穴があくし、好きな人に会って心臓ばくばくするし。笑。条件反射にしても、ある自分の経験の記憶をたどっているだけなのかもしれない。自分の記憶に従うのなら、錐体外路系ではないのでは?そもそも反射だけでは、行為が持続しない様な気がしますしね。説明としては苦しいです。
そこで、この錐体外路系は、もっと創造的に身体を動かしているかもしれないと思うわけです。しかも、経路が無くても伝達しているのです。すごいですよね。まあ、逆に言えばそこが、科学の嫌いなところですけど。そして、それは、精神のためではなく、生命のために活動しているのかもしれないというわけです。日本文化は、この自分のためではなく、生命のために動くものに対して、自然だと考え、これに従うことを佳しとしてきました。精神活動上にありませんので、みなさんが大好きな「愛」が大切とか、言わなくても良いわけです。だいたい「愛」が永遠じゃないといけないのが、不自然すぎますよね。ごめんなさい。こうこと書くから、ネガティブとか言われるんですよね。笑
礼法においても、まず感謝の気持ちが大切だと、前置きしてしまうのは、つまりは、精神が身体をコントロールしようとしているわけです。また、そうすることが大切だとする、現代の価値観にすりよった感がするのであります。そもそも、実際は精神がそいういうことを出来ないから、愛が大切だとか、他人を思いやれとか、感謝の気持ちを忘れるなとか宣言するんですよね。もし、出来ていることでしたら、そういう事を忘れるのが、精神活動です。笑。だからこそ、礼法が大事なのでしょう?と言われるでしょうが、もちろん、大切ですよ、でも僕は、そもそも、現代はアプローチの仕方そのものが違ってきてしまったのかもしれないと、思うのです。
つまり、昔の日本人がやろうとしてきたことは、一割の随意運動で、残りの九割の不随意運動を支配するのでは無く、この貴重な与えられた一割の随意運動を、九割の不随意運動のために費やせば、もっと上手くいくのでは?と考えたということです。この視点に立てば、なかなか、なんとなく日本文化の謎が、いろいろと紐解けてくると思うのです。そして、とても創造的な生活をおくる可能性に満ちていると思うのです。
このサイトでは、こうした視点に立って、ブログを書いていますので、くれぐれもご注意ください。よろしくお願いいたします。
ちょっと、面白い動画を見つけたので、勝手にリンクしました↓だからといって、これをやっているわけではないのですが、まあ、とりあえずの参考には、なるかな?と思いました。