蜷川幸雄さんの演出
時事ネタとして、演出家と役者の関係が取りざたされていて、そんな記事の中で、演出家の蜷川幸雄さんは怖くて、役者を引っ張っていたという。これは、もうステレオタイプにそういうイメージがあると思いますが、僕はちょっと、違った側面を見ていたので、そんなことを書いてみたいと想います。
蜷川さんが、有名になったきっかけが、近松心中物語あたりだと思うのですが、僕はそのシリーズの中の元禄港歌に出演していました。稽古に入るにあたって、怖いよとか、灰皿が飛んでくるよとか、初日から台本を離して稽古するから、台詞は入れておかないとだめだよとか、色々と聞いていました。そして、稽古。いつもの東宝の人たちに混ざって、蜷川組の人が多く入ってきて、なぜか雰囲気は悪い。お互いに牽制しているのか?初日から、台本を持たない稽古は、やはりメインさん達のが、引き締まって頑張っているように見えた。下っ端がモタモタしていると、怒鳴りながら灰皿が飛んでくる。しかし、かなり精度が低い。授業中に先生が、投げるチョークよりも当たらない。(そんなこと、現代社会ではもうないですか?)一ヶ月に及ぶ稽古中、当事者に飛んだ灰皿はゼロだった。むしろ、関係ない人に、当たるので、ある意味、稽古から目が離せない。笑。飛ばすのは、割れない金属製の灰皿で、あらかじめ演出席の横に積み上げてある。自分の吸うタバコ用は、別にあるので、灰皿を投げても汚れたりはしない。僕は、東宝の稽古ではいつも演出部側に座って、稽古を見ているので、(付き人だから、いつでも誰かの代役が出来るように稽古を見るためです)絶対的に安全地帯にいました。灰皿は飛んできません、安心です。つまり、蜷川さんの隣ぐらいにいます。
そんな折り、ある瞬間を見ました。蜷川さんが、太地喜和子さんにダメだししようと「太地さんさ~」と切り出した瞬間、太地さんの目がするどく、蜷川さんを睨み返したのです。そして、何事もなかったように蜷川さんは、無言で次の事をし始めました。ああ、なるほどなと思いました。たぶん、このシーンの解釈の意見が割れたと太地さんが瞬時に判断したのだと思います。そして、その事を太地さんの目を見て蜷川さんも理解した。だから、稽古中みんなの前で、それを戦わせるべきではないと両者が咄嗟に判断したわけです。
余談ですが、太地喜和子さんは、例えば楽屋の廊下でこんなこと言ってきます。
太地:「ちょっと、あんた!あんたの芝居にダメだしがあるから、私の部屋に来なさい。」
僕:「ダメだしですか、はい。すみません」
太地:「すぐ来なさい!」
僕:「あ、はい!」
うえ~、怖いと思って、土下座しながら、部屋にお邪魔しますと。。
太地:「あ~、来た来た。あんたさ、今日飲みに行くけどさ、一緒に行かない?」
もう、怖くて飲む前から吐くかと思った。笑
つまり、楽屋は密会の場なのであります。太地さんと蜷川さんが、楽屋で意見交換をしたことは容易に想像できるわけです。
そして、稽古が始まって間もない頃、僕の師匠が他の仕事で入っている楽屋に、わざわざ蜷川さんがやってきました。何を言いに来たのかと思いきや、深々と頭をさげてこう切り出したのです。
「僕は、偉そうに演出していますが、時代劇は、実のところまったくの素人で全然わかりません、ですから、あなたの出るシーンをどう演出するのが良いのかが分からないので、教えていただけませんか?」
こう、あっさり降参されては、うちの師匠も嫌だとは言えず、親切丁寧に動きを解説して、シーンをまとめていくのです。僕の師匠は、歌舞伎の人間国宝の父を持ち、5歳から舞台に立って、活躍している人なので、演出助言すれば、それはもう鬼に金棒でしょう。
こうして、蜷川演出が素晴らしく、一気に有名になったカラクリが分かったような気がしました。蜷川さんは、いろいろな仕掛け作りました。天井から椿が落ちてくる。紗幕(しゃまく)を使い裏の芝居を見せたり、主題歌を付けたり。この時は美空ひばりさん。当時人気の人形師辻村ジュサブローさんがその主題歌に合わせて人形を踊らせたり、装置に朝倉摂さん、照明に吉井澄雄さんと実力派をそろえ、そして、俳優陣、太地喜和子、平幹二朗、山岡久乃、市原悦子、菅野菜保之、金田龍之介、そして師匠と、当時の実力者をそろえ、そして好きに芝居をさせていたのではないか?演技に対して、あえて演出せず、太地喜和子さんのアイデアや平幹二朗さん、市原悦子さんたちのアイデアで芝居を組み立てていったのではないか?そうでなければ、あれほどまでに生き生きと役者が、躍動している舞台を作り上げることが出来なかったのではないかと思うのです。近松で、腕の骨が折れているのにもかかわらず、市原悦子さんが梯子を勢いよく登っていくシーンとかもう圧巻でした。それは、たぶん自分がやりたかった芝居だったから、できたのではないのかと憶測してしまうわけです。
もちろん、蜷川幸雄さんの演出に賛否両論あります。しかし、この瞬間に立ち会えたこと、早くしてお亡くなりになられた太地喜和子さんの芝居をしっかりと目に焼き付けられたこと、どれも僕にとって、素晴らしい財産となりました。
昨今、プロデューサーさんとか、演出家さんとかがどんどん偉くなっているのかもしれませんが、蜷川演出が、ステレオタイプに強権を発動して、演出していたのではないということだけ書き記しておきたいと思います。