日本の演劇について
明治維新で、急速に近代化を進めるなかで、とにかく西洋のものをなんでも取り入れないと近代化にならないということで、明治末期に芸術分野においても新劇というものが、取り入れられました。それは、まるごと西洋演劇をコピーして始まったようなものですから、訳も分からずに試行錯誤していたんだろうと思います。とにかく新しいことをするんだという、バイタリティーに溢れた時代だと思われます。1905年日露戦争終結、1906年坪内逍遙と島村抱月(1902~1905年イギリス・ドイツ留学)が文芸協会を設立。1911年帝国劇場でハムレットを上演。その後、島村抱月と女優の松井須磨子が脱退し、1913年(大正2年)芸術座を旗揚げ。また、小山内薫と二代目市川左團次(明治座の座元)が1909年自由劇場を結成。イプセンを有楽座にて上演。リアリズム演劇の確立を目指す。1913年小山内薫は、劇場視察のためヨーロッパに渡り、モスクワ芸術座の演出家スタニスラフスキーと出会う。1914~1918年第一次世界大戦。1919年久保田万太郎らと演劇革新を目的として国民文芸会を創立。さらに1920年松竹が映画制作のために松竹キネマ合名社を創立、その中にキネマ俳優学校を作り小山内薫が校長になる。1923年関東大震災。1924年築地小劇場創立、このとき「演出」という言葉ができる。1941年太平洋戦争。
ここまでが、ザクッと新劇の起こりですね。無理矢理まとめました。だいたいイギリスやロシアに渡航した人が、あまりにも違う文化を見て驚き、新しく輝いて見えたので、日本に持ち込もうと考えたわけですね。その中でも、はやりスタニスラフスキーの演劇論が持ち込まれ影響力を持ったのだろうと思います。イギリス演劇を持ち込んだ島村抱月が若くして死んでしまったのも大きいかもしれません。
そして戦後、GHQの戦略により、日本人を洗脳することを目的としてスリーエス政策がとられます。スクリーン・スポーツ・セックスの普及ですね。憧れの国アメリカであり、正義の国アメリカです。ここから大量にアメリカ映画が入って来まして、新しいものが大好きな日本人は、大いに喜んでこれらを受け入れたと思われます。そして、近代になり演技のお手本もやはり本場のハリウッドだということで、徐々にアメリカ式のお芝居が浸透していったんだろうと思われます。このとき有名だったのが、多くの有名人を輩出していたアクターズスタジオです。ベースは、スタニスラフスキーの演劇論のようですが、リー・ストラスバーグが方法論として、演技法をシステム化します。いわゆるメソッド演技というものですね。養成所とかで演劇を学んだ事のある人なら、誰でも一度は聞いたことはあると思います。
しかし、彼の著書のなかで、東洋の人は、西洋演劇を探求し、助けを求め、その助けなしに自分たちをうまく表現できない。と厳しく言われてしまっています。結局のところ、新劇運動は、リアリズム演劇を目指していましたが、うまくいっていたのでしょうか?ちょっと違うものになっていたのかもしれませんね。
ひるがえって現代は、グローバル化も進み、もちろんイギリス派の人もいますが、やはり圧倒的にアメリカのハリウッドへ行って、演劇を学ぶひとが増えたのではないのでしょうか?演技の方法論(システム化)もかなりの進化をし、そうとう高度な教育がなされているようです。
僕は、日本文化につて学んでいくなかで、「システム化」ということが、文化とは混じりえないもの、ということをなんとなく感じています。ですから、そのシステム化ということ自体に非常に危機感を感じてしまうのですが、どうなんでしょうか?実際に、ハリウッドで学んだ人にちょっと聞いてみました。「そのシステム通りに芝居をしたら、誰でも名優になれるのですか?」という問いに対して、きっぱり、「なれます」。「いや、なれるとみんな信じています」という答えが返ってきた。すごい自信です。ここまでのことを言い切れる養成所は、日本には無いでしょうね。笑。もし、画家の養成所なら、誰でもピカソやセザンヌやフェルメールのようになれるという訳です。もし、なれなかったら?それは、本人が、教えたとおりに出来なかったか、努力がたりなかったということなのでしょうか?もしくは、運がなかった!
新劇が出来てから、ちょうど100年がたちました。そろそろ、原点に返って、日本の演劇について、そして日本という素材について、真剣に考えてもよいのではないのでしょうか?金髪のカツラをかぶり、ヒールを履いて鼻を高くして舞台に立っても、それはどこまで行っても、真似事でしかないのですから。文化にはならないのではと思います。
今までは、新しいという刺激を求めて、進んで来ましたが、この演劇の歴史を振り返ってみても、刺激を求めて出来たものは、10年が限界で、消えて無くなっています。しかし、そうやって、進化していくんですと言われるかもしれない。しかし、それは明らかに日本的な流儀のものではないのでは?と、考えるわけです。そこからは、新しい文化は生まれないと思うのです。
新しさと、刺激だけを追い続けている映画とか演劇とかをフロー型の経済と捉えるなら、そろそろストック型の経済にシフトする時代になったと思うのですが、ただのお年寄りのたわごとでしょうか?