視点の移動
前回は、鏡に映った自分を捨てるというタイトルでしたが、反応してくださった方がいらして、舞台でもヨガでも、自分を離れたところから見る目が必要だみたいな事が有名な人の著書に書いてありますが、それはどうなんですか?という質問をいただきました。
それは間違いですと言いたいところですが、お答えといたしましては、僕の言っていることのが、たぶんとても非常識ですので、どうぞご自身が信頼のおける方の言っていることに従ってください。ということです。それでうまく行くのなら、もうそれがベストだと思います。ただ、僕は自分の経験上では、本に書かれているような方法では、どうも上手くいかなかったので、違う方法を探して、違う考えを持つようになりました。西洋的思考よりも日本古来のやり方のが、自分としては、しっくりするのです。まあ、全体的にそんなブログです。
それで、今回は、鏡に映った自分を捨てるために、視点そのものを変える必要があるのでは?というお話になります。
ここからまた非常識な内容になりますので、ムキにならずに柔軟な気持ちで読んでいただけたらうれしいです。笑
まず、見るということですが、現代は科学に依存しますので、そこにあって、見えているものがすべてだと勘違いします。そして、見る器官を必要としている。つまり目ですね。目ですべてを見ていると思っています。もちろん、間違っていません。でも、目という器官で何かを見る以前に、見ようという働きがあるわけです。これが、とても重要なのです。こういうことをいうと、ああ、鶏が先か卵がさきかってお話でしょ?それは答えはないよっと言って、思考を停止するひとがいますが、思考を停止するから解決しないんですよ。笑。ちゃんと考えた方が得策です。そしてこれは明らかに、見る働きの方が先で、あとから目ができたんでしょう。目を作る遺伝子情報とか馬鹿なこと言わないでください。遺伝子という言葉も思考停止装置ですから。笑
いいですか?座頭市さんは、目が見えませんが、相手を斬ることが出来ます。なぜですか?それは、見るという働きは、捨ててないからですよね。逆に見る働きを捨てたら、動けなくなると思います。ですから、見るという働きがある限り、目だけが見ているのではないということです。皮膚もちゃんと色を識別しますし、目では見えない、紫外線にも反応するわけです。まあ、それはいいとして、視点の移動ですね。
なかなか、説明が難しいので、色々考えましたが、一番説明が簡単な、顔について、
笑顔を作って下さい、なんて言えば、間違いなく鏡に映った自分の顔を見て、笑顔を確認すると思います。これを辞めるということは、どうすればいいのか?
お面があるのでわかりすいです。笑顔は、このお面のように顔の奥から見て、筋肉をどう動かせばいいのか?見るわけです。こうすれば鏡に映った自分から、離れられるわけです。たぶん表情は違ったものになってくると思いますので、良かったら試してみて下さい。鏡に映った自分をみて表情を動かしてばかりいると、表面の筋肉ばかりに意識がいきますので、だんだんと、わざとらしい笑顔になりがちなので注意が必要です。一方で、顔の裏側からアプローチすれば、表情に深みがますので、良い感じですよ。
根本的なお話からは、それていますが、とりあえず導入として、わかりやすいかなと。今日はここまで。笑