立つという行為は、人間が人間であるために、四つ足歩行から脱却した偉大な発明な訳です。
この崇高な行為をおろそかにして、感性は動き出しません。笑
まず、足ですが、私たちは普段、靴を履く生活からか、足の裏を一つのポイントと考えてしまいがちです。足という概念だけで、立っているわけです。それで、とっても基本的ですが、(これは、他のサイトを調べて頂ければいくらでも出ています)足の裏を三点で捉えてみましょう。この場合、踵はまだあれですが、足の裏の両サイドが、感覚として乏しいと思います。ここは、重点的に感覚しておきたいところですね。
大事なのは、地面との接触感覚ですね。面をなるべく大きくとらえて、感じることです。足というポイントで捉えてしまうと、その不安定さから、結果足首を固めて立っていることが多いわけで、立つとはむしろこの足首を柔らかく保つことが重要になります。
下の図は、腰を落とすときの注意点ですが、やはり足首を柔らかく曲げていくことが、膝への負担を減らす事になります。
同じ様なことですが、足の裏を左右に分けて、感覚して立つことも有効です。身体を割るという言葉は、聞いたことがあるかもしれませんが、まさに左右に割って、見るわけですね。
こうして、接触感覚を作ることは、これで良いのですが、実は、問題があります。それは居つきに関する事です。
これら接触感覚を持てば、居つきは無くなるのか?検証を要するところです。
私たちは、普通に立てば、特に立つと意識して立てば、必ず居つきがおきます。
その違いもなかなか分からないのですが、このことは一本刃の下駄を履くとわかります。
一本刃の下駄を履いた状態では、居つきはおきにくくなります。
*補足
立つことを正座から行うときに、いろいろとありますが、一つに膝から立つことをやってみる。足首は、最後まで動かさないように立ってみるわけです。最初は、できないと思いますので、手で無理矢理膝を起こしても良いと思います。これら、立つという意志を行為から切り離すことにも役立ちます。こうして、立ったときの感覚経験は、まさに立っているという実感が得られると思います
参考ブログ
・立つことと重力の関係(サイト内リンク)
・立つというイデオロギー(伝ふプロジェクト)
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