秘すれば花

秘すれば花と言えば、世阿弥の風姿花伝ですが、その元になった引用としてはたぶん、古今著聞集の第十五宿執の中にあります。

白河天皇が、寵愛していた稚児に舞の秘伝を教えよと、伶人に命令しましたが、伶人はそれを固辞しました。稚児がいずれ、秘技を公開してしまう、そうなれば、世のため道のためにならず、楽の衰退につながると主張したわけです。結局、その人は左遷されてしまい、稚児もたいした踊り手になりませんでした。かなり中略。同じような事が、数年後に他でありまして、その訴えを受けた、白河天皇がいわく「この事、力及ばざることなり、かくのごとく秘すればこそ、道は、道にてあれ」と言ったそうな。

そして、風姿花伝口伝のご存じ一節。
秘する花を知ること、秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず。この分目を知ること。肝要の花なり。ですね。
面白いのは、秘すればと言っている世阿弥さんの奥伝が、こうして文章として公開状態にあることです。なにか変ですよね?つまり、これは罠ですか?もちろん、内容がおおざっぱ過ぎるので、公開したことにはならないという事なのかな?、まあ、このブログもどこまで、書いていいのかわからずに、かなりおおざっぱにして逃げていますが?笑

この一節の解釈は、みなさんご存じのお通りで、たいした面白い話でもないのですが、たぶん、「秘すれば花」というキャッチフレーズが、かっこいいから、有名になったのでしょうね。ただ、そういう意味では、この直接的な解釈は、つまらなくても、「秘すれば花」という言葉だけから、連想し、一人歩きする事柄は、とても多くて、しかも奥が深いんですよね。むしろ、そっちを狙っているのか?僕も大好きで、このブログのテーマにしたいぐらいです。

僕が、引っかかるのは、最初の秘する花を知ることですね。つまり、秘するべき花があるわけで、それを見極めろとも取れるわけです。また、世阿弥さんの生きた時代において、表現して良いことと悪いことは、やはり今よりも厳しくあり、まして将軍様が見に来るような場において、伝えたいことと、表現して良いことのギャップが、かなりあるようにも思われます。能は、擬似的な葬儀でもあり、除霊であり、呪詛からの回避でもあるわけですよね?そう考えれば、かなりデリケートな分部において、秘する必要性があることも多々含まれていると思われます。

そして、そうしているうちに気づいてきたんですね、たぶん。つまり、伝えないようにしたほうが、伝わることがあることに気づいたんですよ、たぶんきっと、そうに違いない。もちろん、それがどんなことなのかは説明はできません。笑。ですから、あとの文章は、内容をはぐらかすための付け足し文なんですよ、きっと。だから、騙されてはいけません。秘すれば花の内容は、ほんとうは秘密で、そうすることいよって伝わりましたねということです。

冷静に考えれば、能の演目で、何かを伝えるにして、その相手というのは、何も知らない観客であったり、言いたいことを直接言えない将軍様であったり、言葉が通じるかも分からない、霊や夜叉さんたちですね、それらの方々にお伝えするに当たって、普通の言葉はかなり非力であることは、容易に想像がつきます。幽玄なる世界に、現実的対処法は、無力である可能性が高いわけですね。

もちろん、このことは現代でも十分使えることですね。普通の表現によって伝えられることは、それを受け止める用意のある人にしか伝わりません。ですから、ある伝えたい事柄を、ある技を持って秘するわけです。そうすると、受け取り側は、善し悪しの判断もせずに、そのひとの潜在意識に入り込み甘受するわけです。そして、その作用は、ある瞬間にその人の琴線に触れるという仕組みがあるわけです。わけなくして涙する瞬間ですね。

信じる信じないは別として、秘することの違いが、分かりやすいのは、アニメの攻殻機動隊と、実写版のハリウッドが作った攻殻機動隊の映画の深さを見れば、一目瞭然ですね。すべてが表に表現されるハリウッドと、秘することがふんだんにちりばめられたアニメの攻殻機動隊は、全然ちがう雰囲気になるものですよね。どちらが佳いかは、みなさんのご判断です。

 

 

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

その他

  1. 2019/7/5

    所作塾No14
    所作は、身体を意志では無く、感覚を通して、扱うことで、命と真摯に向かいあう行為の一つとなりえます。 …
  2. 2019/6/20

    所作塾No13
    合理化と視覚化は、現代の社会の二大命題でありますが、もちろん、それは、文化的なものとは真逆に位置して…
  3. 2019/5/28

    所作塾 No12
    日本画の余白と集中観について、 日本の絵には、余白があったりします。それを見て、西洋の昔の画家…
  4. 2019/4/10

    所作塾 No11
    身体を動かす上で、大事になのはたぶん、下半身だと思いますが、それは基本的なことで、細かい技となるとや…
  5. 2019/3/21

    所作塾 No10
    所作塾 No10 2019/3/18 毎回、集まって頂いた人に合わせて、稽古を組み立てていますが、…
  6. 2019/3/4

    所作塾 No9
    所作塾 No9 2019/2/25 私たちは、普段、効率化と合理化の観点から、色々なものを、単…
  7. 東京放送芸術&映画・俳優専門学校の進級公演として、上演されたものです。 もちろん、突っ込みどころは…

新しい投稿

命題

Je sens, donc je suis.
我感じる、故に我有り

デカルトの我思う故に我有りの命題を日本風になおしました。日本文化の原点です。

ブログカテゴリー

補足メモ

  1. 2019-3-8

    精神は、身体に触れられない

    こう切り出したら、ある人から、いえ、私は、身体にいつでも触ることができますよ、むしろ精神には触れない…
  2. 2019-1-4

    錐体系と錐体外路系の運動

    私たちは、何か行動を起こすとき、意識している行為と無意識の行為があります。つまり、自覚的行為と無自覚…
  3. 2018-2-20

    量子力学的な身体観

    現代では、精神が身体よりも上位に位置し、身体を生きていくための道具と捉えているからでしょうか?身体を…
  4. 2018-2-16

    識別感覚と同調感覚について

    前回の「理解という概念の固定化」の続きのブログです。この問題は、何度か伝ふプロジェクトでも書いていま…
  5. 2018-1-8

    理解という概念の固定化

    最近では、理解しないと動けないという人が、増えています。ワークショップをするにしても、最初に座学を入…
ページ上部へ戻る