見るという行為の工夫

私たちは、現在そこに有るものに集中すると、身体を見失い。そこには何も無いものを見ようとすれば、身体が充足してくる(感性が豊かになる)。こうしたことに気づいた、日本人は、知恵をあれこれ振り絞って、無いものへと向かう。ここで、科学的に解釈しようとして、焦って、日本文化を精神論にしてしまうと、何も分からなくなる。それは、科学が有るものを基準に考える思考法だからです。吾唯足知とは、不足の美で、足りないとは、すなわち、身体に問うことができるチャンスを得たわけです。平たく言うと、不足と感じたのは精神であり、身体はそうした価値観に対して、意味を持たない。ですから、その気(機)を身体集中に入り込むために利用するわけです。足りないから、足りるに集中が変わるとき、それはつまり精神集中から、身体集中に移行したときで、そこから、感性の満ち足りた世界が広がり始める。そして、吾唯足知となるの境地が見えてくる、という訳ではないでしょうか?(そりゃあ、一般論と違う、勝手な解釈ですよ)

花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは、雨にむかいひて月を恋い、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情け深し。(徒然草)

こうして、みんな薄々感じていたわけで、そうしたことを技にするために、時には、わざと欠けを作ってみたり、消えゆくものに思いをはせたり、隠してみたりするわけですね。真実は、どうせ見たものの中にはない、むしろ見えるものが、遮って真実を覆い隠す。だったら、最初っから、見えるものを遮ってしまえば、見えるものが邪魔することがなくなるかもしれない。こうして、秘仏がうまれ、神社では、何も無いものを鏡で隠す。鏡は真実を映し出すのでは無く、見る者を映し返しているにすぎない。自分の姿を見ていても、しょうがないので、視線は、祈り(意乗り)のため宙を舞い始める。

そう、まずは、通り過ごしたその先を見る。私たちは、そのとき、なぜかは全く分かりませんが、真摯に生命と向かう時間を共有し始める可能性を秘めているわけです。(理はあるが、科学的根拠は無い)

相手役を見ているのは、自分です。つまり、自分が思い描いた通りの相手を見ているわけで、そんなことしてても、相手のことは分からない。どうするのか、相手を隠せばいい。いや、しかし、目の前にあって隠れない。だったら、自分の描いた単なる影だとして、相手を見すごしてみる、そうするとやがて、なぜか自分の方は、感じる身体を作り始める。そうすれば、相手を見ることの不足(影として捉えているので)を感じることで、身体が補い始めるわけです。そしてもはや、相手を見る必要がなくなる(同調感覚が生まれる)。という理論ですが、いかがでしょうか?まあ、僕が言っても、説得力はゼロですが、こればっかりは、さすがに実技にしてみないと意味不明ですね。実技すれば、あとは本人がどう感じたかだけが、問題で、理論は無意味ですからね。笑

そして、誰も信用してないことを前提で、勝手な事書いてますが、ちゃんと習った事が無いので、憶測でしかないのですが、ハリウッド系の演技指導では、しっかり相手を見ろと言っているかも知れない(刺激に対する反応としての芝居ため?)。ですから、ここで書いたことは、真逆になりそうだし、しかも、こちらは圧倒的なマイノリティなので、やばやばなのですが。しかし、これだけは、言っておきたいのですが、私たちは、演技の善し悪しを論ずるずっとずっと前に、大前提として、演技にたいして真摯に向き合っているのか?と言うことが、大事なんじゃないかって、長くこの世界にいると(適当にマイナーですからメジャーの実際は知りませんが)実感する訳なのですが、その真摯な態度って、真面目とは違うから、間違えないでほしい。真面目に演技に取り組んでも、開き直ることが難しいから、真面目だと萎縮してしまう可能性が高い。そして、そう感じている人は多いと思うし、それで壁にあたることも多いですよね?だから、不真面目な奴のが、開き直って演技がうまいと評価されてがっかりする。でも、不真面目な奴は普通は、その先は伸びない人が多いから、気にしなくて良いのですが、でもそうなんです。こういう風に、精神論にしてしまうと、すぐに二極論なるから、どうしていいのか、解決策が無くなるのです。それでね、一番手っ取り早い話、これですよ!ここに書いたことが、とても重要なんですよ。

私たちは、演技や役に向き合う前に、生命に対して真摯に向き合う!という事です。演技に対していくら向かっても、たいした開き直りは、できない。いや、出来てると思っているのは、ただ感性をつぶすことで実現した、気狂いか麻薬患者みたいな人の芝居しかないでしょう?(ただの暴言です気にしないでね)感性豊かに、真摯に向きあう方法は、どうすれば良いのか?ドーピング問題が問題視されない、演劇の世界で、どうやって麻薬患者のような演技に対抗したらよいのか?そして、その方法や、解決は、どうするのか?それは、実は僕たちが生み出す必要はまったくなく、いままでの日本人の知恵の中に、もうすでに集約されていますよ。と、日本文化をもう一回、見直してみれば、夢の様なお話になるのでした。笑

ここまで、書いて思うのは、文化も学ばないで、演技の壁に当たっている人は、それは違うだろって、逆に言えば、そこまで自分に自信がある人なんだろうなって、思ってしまう。いや、まったく新しいものが作りたいんです!って、言うかもしれない。でももし、そうだったら、昔からある、映画や演劇なんてものを、やる必要もないですよね?それで、誰一人として評価してくれなくても、全うする覚悟がありますか?まあ、それが生きている証だって、ことになるのが、当世のならひなのでしょうがないわけですけどね。武士のならひとは、ちょいと違う?ってお話でした。ごめんなさい。

つづくかも?

 

 

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