所作塾 No2

所作塾 No 2 2018/7/4

今回は、立つについてやろうと考えていましたが、急きょ、お芝居に関する身体の関わりについて、座学と実技をしました。所作を進めていけば、無自覚の身体と出会うことがあるかもしれません。究極のリアリティのある演技における役作りとは、つまりこの無意識の身体との一期一会であるのかもしれません。もちろん、言葉で書くほどに簡単なはずがありません。

この命題は、所作塾の目指すところではありますが、あまり初歩的ではないので、かなり飛ばした内容になりました。申し訳ありません。今回は、実験的に何が問題としてまず、立ちふさがるのかも、検証してみました。自我と無自覚の身体とを結ぶのは、なんだろうってことですが、とりあえず、手っ取り早く、アプローチする題材と言えば、一つのには、歌?例えば和歌だったりとかするわけですが、そうしたものは、すべてここに無いものを思い偲ぶ事から入るのだと思います。つまりは、感性が動き出すわけですが、実在するものをいくら、細かく観察していても、感性が動き出すきっかけには、かなり根拠が乏しいことになります。ところが、ある不図したときに、突然感性は動き出すわけです。

しかし、演劇において考えてみますと、まずこの不図した思いつきほど表現に困ることはないと思います、それは、なぜかと言えば、現代演劇が、感覚を重視し、外部の刺激に対して、反応するという形としての表現方法を主流にしているからです。不図思いつくのは、この外部の刺激に対して、どのような形でも自由であり、刺激となんら関係性がありません。そして、この即興演技のような不図思うことが、はたして、単にいつもの自分が思いついたことなのか、役柄としての演技中の人物として思いついたのか、区別がつくのだろうか?という事です。

普通の役者は、だいたいの場合、台本を読みまして、自分に与えられた役が、どんな人物なのか、想定をします。そして、その想定に従って、台詞や動きを考えて行くわけですが、その役のディテールをどんどん掘り下げれば、それに従って、リアリティのある演技が出来ると考えられているわけです。さて、そこで、この台本を読んでいるのは、誰ですか?こう反応してこう動くだろうと、想定しているのは、誰ですか?

ここまで、書けば分かると思いますが、役柄のまま不図思うことは、この様なメソッドでは、無理なのだと思います。それは、なぜなのか、つまりは、そのある想定をした時点で、その想定をしたのは、その人だからです。わかりますかね??笑。役柄となって台本を読んで居ないわけです。

まあ、そういったテクニカルなことは、演技のヒントのコーナーに任せておいて、ここでは、その不図した身体として、演技に入るための所作を考えるわけです。

まず、第一に、刺激反応というサイクルから脱却を図ります。つまり、五感を識別感覚として、使わないという事です。そのために、いろいろな所作事が必要になるわけですが、前回やりました。持つという事も、その一つです。手という器官は、ほっておけば、間違いなく識別感覚が作動しますから、とても注意が必要になるわけです。そのために、手に関するいろいろな型が、作られて行くわけです。究極、手首からさきが、無いと思わせるような状態に持ち込むことであり、腕が透明な入れものになるような感覚を作り上げるわけです。

ここで、また感覚が出ました。そして、質問もいただきました。もし身体が、巫者であるとするならば、その感覚は、邪魔な感覚なのではないのですか?という事です。はい、良い質問です。実は僕たちは、この後者に出てきた、この感覚を扱うことを所作であると考えています。この感覚が、幽玄なるものに対する唯一の通信手段だと思っているからです。

間違いやすいのは、禅でいうところの無という表現です。巫者であるためには、無であるべきと短絡的考えてしまうわけです。間違ってしまいやすいのは、現代の禅寺でいう無とは、西洋思想が入り、無という状態があると信じているわけで、つまり無という境地があるわけで、それは、どういうことかといえば、つまりあるということですよね。無があるわけですから、無じゃないわけです。わかるかな??笑

所作は、ある状態やある境地をつくることではなく、ある状況やある流動性を追いかけることであると思うわけです。つまり、無という状態には興味が無く、無へ向かう無常観と、ある流動性を感覚することだということです。

こうして、初めて、識別感覚から脱却し、感性を豊かに動かす、身体の形成がなされていくというわけです。

もう、文字数があれなので、急ですが、まとめとして、ここからは、ある実験をしました。

私たちが、不図思うことのオリジナリティは、何かに集中して生きている人なのかによって、変化するのでは、ないのか?という仮説を立てるわけです。女性は、子宮で考えるなんて言葉を聞いたことがあるでしょう?そんな、感じです。ある人は、胃袋で、物事を考える、ある人は、腰で考える、そんな風に、あるものに集中しているから、その役柄にふさわしい台本を読めるし、不図思う事への導入が出来るのでは?という実験であるわけです。

そのためにはまず、自らがフラットになるための型がなければ、いけないのですが、さすがに時間内におさまる内容ではありませんでした。やや、企画倒れ、笑。また、気が向いたときに、進めて行きます。ありがとうございました。

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