陰を見る演技

不安定な空間を見ることで、見るという働きが動作として続いて、そのことによって、実体が浮かび上がって見えてくるのかも?というのが前回のお話でした。実体だけを見れば、認識がはじまり、動作の流れが止まってしまうというわけでした。↓のお面は、集中観の違いを確かめるためのものですが、強制的に余白を作ることが出来ているのかもしれません。ただし、これは、見る側が感じるための余白になります。この状態を他人から見られても、笑ってしまうだけです。笑

しかし、実際の生活の中では、日本画のような余白は、存在しませんね。では、どうしましょうか?そこで登場するのが、「影」の存在では、ないでしょうか。「影」は、はっきりしているようで、とらえどころがないので、余白のような役割をはたすかもしれません。

しかも「影」は、そのものによって作り出されたもので、分身と言ってもいいぐらいです。↑の猫ですが、影を忘れて、実体だけを見れば、たやすく猫と認識し、その後の見るという行為は、その猫という概念の世界です。しかし、猫と影をひとくくりで、見れば、見るという行為が、動的に確保され、この猫がすぐにでも、動き出してきそうに見えてきませんか?これは、流動性を確保しているからだと思います。しかし、現代の私たちは、実生活の中で、習慣としてこの影を見ることを忘れているような気がします。映画は、中国語で「電影」とかきますが、実際は、映画やテレビの中で、意図しないかぎり、この影を消すことに努力を費やしています。つまり、この影の喪失が、現代の象徴なのかもしれません。中国の電影という漢字は、いい線ついているんですけどね。

こうして、考えれば、昔の人が、相手の目を見なかったという事実も理解しやすくなります。実体よりも、むしろ影を見ていたのかもしれません。この考え方は、武術にも出てきます。相手から視線を受ければ、つまり認識されれば、認識されたものは流動性を失い、見る側も見られた側も次の動きだしが難しくなります。(かなり繊細な感覚です)ですから、これは避けたいところです。例えば、武術家の黒田鉄山さんの言葉を引用しますと、

我々はそこに居つくことを非常に嫌う。そのに居て居ない身体をもとめている。相手は剣なのだということが前提となる動き方、身体の在りようにおいては、そこに居て斬られるようなものはすべて否定されなければならない。

つまり、影ならば、斬られないし、居つきが避けられると解釈したならば、、、陰流か??笑。我が身を影に託せば、自由が確保出来るというわけです。このことを、科学的根拠がないと、鼻で笑うことは簡単ですが、実は、ここが日本文化の重要な考え方の一つであることは、間違い有りません。(珍しく断言しています。笑)本当は、科学的根拠がないから文化なんですよ。難しい問題ですね。笑。

そして、自分を影に託したとき、あることに気づくわけです。

富士山を見たことがあると思います。綺麗です。そう思って、富士山に登りますと、もはや富士山を見ることが出来ません、しかし、その代わりに富士山を感じることが出来るわけです。この二元論が、前提としてあると、考えてください。見ることに従事すると、感じられない。感じることを主にすると見ることが出来ない。つまり、見て感じることは、次元の違う二つのものを同時にする事だと言うことです。

鏡が、日常的にない時代ですと、自分を見るということが、難しいことなのですが、影ならいつでも見ることが出来たわけです。自分を見ることが、自分の影を見ることで代用されたであろうと憶測してみるわけです。そこで、影をみながら考えるわけです。富士山に登ってしまうと、富士山を見ることができないが、富士山の頂上から、富士山の影なら見ることが可能だったわけです。このとき、見ると感じるを同時に行える可能性があるわけです。つまり、どういう事かと言いますと、自分の影を見るということは、まさに自分を実感するということ同等になるわけなのです!かなりまわりぐどい書き方で、説明しましたので、意味不明な人もいるかもしれませんが、、、。汗。見ると感じるを二つにわけて、同時に違う次元で、実現していくと技になりますよというお話です。

そんなわけで、ぼちぼち演技のヒントに入ろうと思うと、もう字数が、やばいですね。笑

そこで、問題提示です。私たちが、演技をするというのは、実体ですか?影ですか?役を演じる場合の、役というのは、影ですか?実体ですか?その時の自分自身は、影になっているのですか?実体をしているのですか?お客さまに伝わるのは、影のほうですか?実体の方ですか?幽玄って、では、どっち?よくよく、考えた方が、良いですよ、その方が楽しいです。

私たちは、共演する場合、相手役の邪魔をする事は、避けて、共同作業に持ち込んだ方が、お互いに良いに決まっています。中には、共演は、競演だ!戦いだ!とか言う人もいますが、とりあえず、、そういう争いを想定していませんので、ここを読んでも参考になりません。あしからず。

そこで、仲良く共演する場合、相手役をどう見ることが、良いのかってことです。演技は動きが、大事ですから、その場合、自分が感じることが必須になります(所作は感じることが基本ですから)。そうしたら、相手は必然的に見る対象になるわけです。間違っても、相手から感じ取ろうとしたり、もちろん頭で考えるなんてことがあれば、その関係性は、すぐに崩れてしまう可能性があります。そして、相手を見ると言いましたが、それは、自分にとっての影であるわけですから、つまり相手は自分を映し出す鏡になるわけです。そう、相手の中にまるで鏡に映ったような自分を映し出して見ることをするわけです。そうして、相手に自分の影を投影することに成功すれば、自分は感性の塊になれる!という技術論を言っているのです。そしてそれが、本当の自分なのか、役の中の自分なのかは、実は問題が残るところなのです。はい、ぶっちゃけ言いますと、こういうことは、僕一人では研究が無理なので、仲間と一緒に、実験して頂かないと、埒があかないのです。爆。しかし、誰も、一緒にやってくれる友達が居ないのが現状なのでありまする。笑

演技ラボなんてことをやっていますので、絶賛、仲間募集してます。お問い合わせください。感謝

とりあえず、つづく

 

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