目力って?なに?見る技術について

瞬きしない演技が、一時期、話題になったことがありました。たしか無名塾の俳優さんだったような気がします。瞬きしないから、すごいって、なったわけですが、いつの間にか、瞬きしないのことイコール演技が上手いってことに、なっていたりしてますか?AKB48の人たちが、瞬きしないように訓練するって聞きましたが、それは確かに48人もいたら写真撮るときに、瞬きは困りますからね。それは、理解できるのですが、演技で瞬きしない訓練は、ちょっと意味が分かりません。笑。何かに集中した結果。瞬きしないことがあっても良いかもしれませんが、瞬きしないことが先に訓練するほど重要な事ですか?まあ、どうでもいいか。

また最近では、歌舞伎でも見得を切るのが、流行っていまして、見得を切って見てもらえば縁起が良いとまで言われているようです。また、見得を切らないまでも、目で表現することが、昔に比べて多いような気がします。

目に力が入っていれば、意識が強く介入しているわけです。意識高い系の人間が。目が鋭かったりしますね。もっともっと、目に力が入れば気が狂っているわけでして、私たちが、目で判断するとき一番わかりやすいのが、このいっちゃってる人の目でして、麻薬でもやってる?やばくない?って人は、目を見ればわかりますね。え?まさか、そういう普通じゃない人の芝居ができるから、演技が上手いとか思っていたりしてました?、、汗。それも、どうでも良いことですが、武術の分野でいけば、目がものを言っていたのでは、行動がバレバレですし、そもそも居つきを嫌うわけですがから、意識が強い時点で、だめでしょうってなるわけです。(一つの意志が多くの想定外をつくる

僕は、今の日本がおかしいなって、強く思うところは、このように価値観がダブルスタンダードになってしまったところです。かつての日本は、すべての分野に通ずる標準所作が存在していたわけです。それは、標準語よりも以前からあったわけですから、どれだけすごいことか分かると思います。ところが、現在では、意識は高い方が良いのですか、悪いのですか?といった様に、ダブルスタンダードになっているわけです。ですから、ダイバーシティとか多様性とかいう話を論ずる前に、日本的にはちょっと変な状態になってしまったわけです。すみません、話がそれました!

現代の演劇では、台詞は、相手の目を見て話しなさいと言われます。それは、そういう時代なのですから、しょうがないのですが、以前の日本には、無かった所作になりますので、私たちは、その行為の中にあるはずの文化の後ろ盾を失う恐れがあるわけです。文化なんてものは、そんな行為に必要ないと思った方は、こちら(不作為の美)を読んでください。またそう思う方は、つまりは身体を意志の道具と考えている方で、意志を伝えたえるための器官として、目や口があると思っているわけです。そういう合理的な人に限って、案外自分を越えるんだとか言って、わざわざ自分という強固な壁を作っておいてから、それを壊そうと、もがいていたりするものです。そして、次の瞬間には自分の才能というものの限界に突き当たって、苦しむわけですが、たかだか50年ぐらい生きた程度の人間の浅知恵では、その解決力はかなり非力であるわけです。文化は、一万年の蓄積です。笑、しかもその一万年の間に居合わせた天才が作り上げたものですし、そしてその文化は、伝わる力を持っていますので、わざわざ伝える必要も無いのです。しかも、誰もが生まれつき持っていて学ばなくても使えるものが文化なのです。これを使わない手はないと思うわけですが、いかがでしょうか?。

つまり、相手の目みて、話すという行為は、不自然なので、文化の力を利用するには、それなりの技術を持って、あたらないといけないわけです。それは、目力が美徳とされるような現代という、ダブルスタンダードの矛盾の時代に生まれた私たちの持つ使命なのかもしれませんね。

演劇の勉強で、最初によく言われるのが、役として存在すること!そのために、人物をリアルに再現しろとか、台本を良く読めとか、こまかく役柄を作れとか、状況をしっかり把握しろとかとかとか、いろいろと精神活動的な課題を指導されると思います。でも、それらのいくつかのことが、実際うまく出来ないのは、単にやってることの中に、文化が欠落しているだけなのかもしれません。役者として存在する前に、文化がその中に存在していないので、奇妙キテレツなものしか表現することが出来なくなっているのかもしれませんね。逆に言えば、役として存在してなくても、文化として存在してれば、良いだけの話かもしれないのです。笑

とにかく、見るという行為は、すっかり成長してから発達し、その後は五感の中で、最大の情報源として活用されているものだと思います。それだけに、この問題は難しいのですが、各々で見るという行為について、今一度、自問自答する時間をつくることが大切だと思います。

そして、見るという行為が最大の情報源であるということで、もっとも概念の固定化が進む可能性を持った行為でもあるわけです。つまり固定化されれば、動き回ることが難しくなるわけです。この動きにくさを感じたとき、人は視線を意識します。つまり、ヤンキーのように「なに、眼くれてんだよ!」と怒りたくなるわけです。つまり、見るという行為が、文化的でないとするならば、自分も相手も束縛し、しかもとてもつまらない世界が、目の前に繰り広げられる様になってしまうわけです。

「そんなこと、あるわけねぇだろって」って聞こえてきそうです。笑。これは、専門学校の授業の中で、希望があればやりますね。話が、長くなってしまいましたので、この先は、また今度。

関連記事として、識別感覚と同調感覚について

みるということ(伝ふプロジェクト)

つづく

 

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