東京フィルムセンター14期1年生 Ver2

また、代講にうかがえるという幸運に恵まれまして、行ってまいりました。1年生です。今回は、ブリティッシュコメディということで、関西喜劇とは、まったく違って難しいのですが、僕はそれでも着物です。笑。

もちろん、演技的には突っ込みどころ満載ですが(内緒)、それをいちいち指摘しても何も生まれないし、指摘された人しか、たぶんダメだしを聞いてないと思いますので、ほったらかしです。僕は、そんなことより、誰でも最初言われること、そう 「舞台に立ってないよね、台詞言ってないときに芝居していないよね」という指摘に対する答えを探していきたいのです。誰だって真面目に取り組んでいるのに、そういう現象は、確かにあるんです。集中が、果てしなく散漫になり、鳥散らかってまとまらない感じですね。

まず、台詞が入ってない。いや、台詞が入ってないことは、実はたいしたことではないのですが、覚えていないことに気をとられていることが問題になるわけです。集中出来ないのです。ですから、台詞を言うことにたぶん、精神の8割ぐらい使っているのかな?残りの2割で、ストーリーを考えている。つまり、孤立しているわけです。でも、相手の台詞は、よく聞きなさいと言われるので、聞く。それは、次が、自分の台詞をいう順番だから?

この状態で、この芝居を、ああしょうとか、こうしようとか、考えても無意味とまでは、言わないにしても、もっとやるべきことがあるでしょうって?考えるわけです。しかし、大方の演出家さんというのは、もっと物語を解釈しろとか、アイデアを考えろとかいうわけです。相手の台詞をちゃんと聞いて、感情を作りなさいってね。でもこれは、僕が経験してきたことだから、よく分かりますが、こういうアプローチは、とても時間がかかるわけです。この呪縛から、脱出するのは、ほんとうは出来る先輩が、一緒に芝居してくれればいいのですが、養成所の場合、なかなかそんな訳にはいかないわけです。日芸で卒業制作に参加したりする時にも、僕は、いいますよ。どうして、OBがいないの?○谷幸喜さんや、宮藤官○郎さんは、なぜ来ないのってね。無理に決まってますが、笑。

話がそれました。それで、武士のならひ的アプローチでは、身体感覚を使う訳ですから、先輩の力は必要ありません。簡単な課題を少し加えます。つまり、精神活動100%になっている芝居だから、舞台に立ってないって言われるわけなので、身体を使えばいいんです。そしてこの場合に、勘違いしないでほしい事は、精神の奴隷として、身体を使わないと言うことです。こう動いたら、受けるとか、ト書きに書いてあるからああ動くとかは、全然ダメです。つまり意図的な、動きでは意味がありません。強いて言うなら、芝居の内容には、まったく関係ないでしょう的な事ですね。そう、そうすると劇的なるものへ、芝居を展開していくわけです。

竹ひごを持ってみた↑

集中点を変えてみた↑

どれも、劇的ビフォーアフターになるわけですが、皆さんはどう思ったかは、分かりませんが、僕的には、目覚ましく演劇的になったと思いました。みんなそれなりに、存在しているのです。養成所の時計を一年は早めたなと自画自賛。笑。たぶん、演技もやりやすくなってると思いますが、どうなんでしょうか?身体はストーリーと関係ないことをしているのにです。そして、やはり、ほんとうに劇的に変わるのは、タイミングを変えるということです。(口伝につき説明は、しません!)これをすると、ほんと普通に見ている側が芝居に入り込みます。さっきまで、段取りにしか見えなかった学生芝居が、今ここで、リアルに展開されているように、ひきこまれるんですね~~~~。驚いた。

ですから生徒の皆さん、他の授業で、近藤はこんなこと言ってました、とか、口が裂けても言ってはダメですよ。怒られます。

ちょっと、自画自賛しすぎ?なので、ここら辺で、やめておきます。すみませんでした。許してください。
もう一つのクラスのみんなです↓

みんな、ありがとうさんでした。楽しかった!

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