万物を生命として扱う文化

日本では、すべてのもは生きていると想定して一緒に生きています。科学でいうことろの無機物においても、生命を想定しています。「刀は武士の魂である」という言葉もありますが、(この言葉の由来は、明治以降かもしれないので、怪しいですが)詰まるところ、それぐらい大切なものですという、現代人が考える様な次元では全くなく、ほんとうに生命として処するわけです。たまに若い人が、自分はがさつなんで、丁寧にものを扱うことか苦手なんですが、どうすれば良いですか~?。なんて、聞く人がいますが、日本人は丁寧なんかにものを扱えませんよ、そんなことが出来るのは、西洋人だけです。日本人は、丁寧に扱うのではなく、生命として扱うのです。笑(今日の極論)

日本における、道具のあり方は、世界からみるとかなり特殊です。茶道などは、道具の扱い方を道にまで、高めている場合もあるぐらいです。つまり、道具とは利用するだけの存在ではないのです。道具は、生き物ですから、接し方が難しいのです。そして、道具との共存共生は、我々を豊かにして、さらにともに成長していくことが出来るものなのです。その関係作りには、まず道具の意思に従う準備が、必要になります。古武道では、刃筋に逆らうなとか、書道も筆の動きに従うわけです、そして、そういった道具とのお付き合いを知る方法は、特殊な習い事をしに行かなくても、実は、私たちの身近にも素晴らしいものがあります。

それは、お箸であります。現代の拝金経済至上主義の社会では、箸は無機質の単なる利用物として使っては捨てるものとして、捉えていますので、箸の持ち方ひとつ、だんだん、指導することが少なくなってきています。ですから、そのうちに、もうスプーンで良いじゃんとなる日も近いわけです。残念ながら、私たちは、豊かに成長するためのとても有効な、手段を目の前にして、文化を放棄してしまったわけです。箸の持ち方を矯正したら、子供たちが可哀想ですか??教えないほうが、もっと可哀想な気もするのですが、笑。

本当のところ。これは、一生かけて大人も取り組むべき所作なのかもしれません。(書いてて自分の耳も痛いですが)一度、侍クラブ稽古会でも箸の持ち方教室やりましたが、まじめにやると、これが超難しい!これじゃあ、いつまでたっても、ご飯食べられませんって感じです。しかし、昔の剣豪は、その箸でどんぶりをつまんで持ち上げることができたというのですから、もうとんでもないのです。何か根本的に、僕たちは文化を継承できずにどんどん捨ててしまっているのですね。残念です。

日本の場合、道具の持ち方で、海外との違いがわかりやすいのは、相手は生き物ですから、拘束しないように持つということです。ですから、箸を持っても、この箸は容易に手から抜き取ることが可能です。一方、ナイフとフォークを持ってみてください。あまり強く持たなくても、手が拘束していますので、抜けることがありません。刀を抜刀するときに、外国の方に多いのが、剣を持つときのように刀の束をわしづかみにしてしまい、刀が抜けなくなるパターンです。手首が固まっては、日本刀は抜けません。もちろん、構えた時にも、お箸と同じように、刀を拘束するような持ち方はしません。書道における筆もそうですね、がっちり持っては、筆が運べなくなるわけです。

まあ、ここまでなら、普通の日本文化のブログですが、ここからが 武士のならひの本編になります。笑

このことは、日本の所作の要の一つだと思います。日本人は、道具を持つとき、相手が生命あるものとして、接する方法の一つとして、結界の様なものを作ります。つまり、簡単に言ってしまえば、自分の意思が、道具に向かって侵入してしまわないように徹底して注意を払うわけです。道具と自分の間には、不可侵条約が結ばれているかのように、道具の独立性を維持するわけです。それは、道具に対する優しさでそうするのではないのかもしれません。道具の独立性の確保は、つまりは自らの独立性を維持するためにもなるのです。精神や意識は、隙あらば、何かに依存しようとする性質があります。相手に意思が流れ込めば、依存関係がうまれ、うまく動くことが出来なくなるわけです。(少し前のブログで、接触感覚の大切さを書きましたが、こういったことを注意する必要があるわけです。「人間が人間を信用出来なくなる日」)笑

現代の私たちなら、集団で動くとき、意思を統一して、呼吸を合わせて動こうとするわけです。つまり、意思の疎通が、重要だと考えるわけです。それでも、日本人が、いままで自分の意見を言うことが、あまり好きではなかったのは、全体主義だからではないのです。意思の統一が、集団活動を円滑にするという概念が、机上の空論であると見抜いているからなのかもしれません。意思の疎通は、依存関係を生む可能性が高いからです。(私たちは一人では、生きられないのですよ、と言う人の中で、こうした依存関係の事をさして言っているのだとしたら、それは偽善者かもしれない。今日の暴言)

実は、意思の疎通を図らないのは、依存関係を絶つためだけではありません、簡単な話ですが、すなわち私たちは、物の言語を知らないし、考えていることも分からないからです。意思の統一と言っても、困るわけです、例えばお茶碗の考えていることが、理解出来る人がいますか?では、どうやって、お茶の席で、お茶碗を扱うのですか?しかも相手は、生きているものなのですよ!

つまり、日本文化では、意思の疎通を絶ってしかも、ともに動くことを追求するわけです。だから、道にまで、その行為を高められるわけです。そして、まずは意思の遮断の方法としての、いろいろな型が生まれ、そしてともに動く方法としての儀式が、作られていくわけです。つまり結界とは、防御のシステムではなく、意思を絶って、さらに交信するための場所であるというわけです。長くなってしまいましたので、ここまでで、笑 ヒント、こうして結界を張っているのですが、私たちは、ここから意志なき疎通を図るわけです。↓

 

 

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